DVD/ブルレイ


サントラ


原作

Invictus インビクタス 負けざる者たち
(英語Invincibleのラテン語=無敵、不屈、不敗=W.E. Henryの詩のタイトル)
” その門がどれだけ狭いとしても、そのまま何故罰を受ける必要があるのだ。
私こそが私の運命を決める主であり、私こそが私の魂を導く者なのだ”
-詩の一部

http://www.youtube.com/user/InvictusJapan
公式Youtube動画集

 
DVD11月3日廉価版1500円で発売

目次
キャスト
映画完成前のニュース
映画完成後のニュース
トリヴィア
2007年版脚本
原作より
マンデラの名もなき看守
You Tubeで見つけたインビクタスに関わる動画


下の写真は実際のネルソンマンデラとFrancois Pienaar
モーガンフリーマンとマットデイモンが演じる

 

キャスト 
Matt Damon(マット・デイモン)・・・・・・・・・・・・・Fancois Pienaar(フランソワ・ピーナー) 南アフリカラグビー代表チームキャプテン
説明するまでもなしの、ボーンシリーズのメガトンヒットで大スター

Morgan Freeman(モーガン・フリーマン)・・・・・Nelson Mandela(ネルソン・マンデラ) 南アフリカ共和国大統領
イーストウッドとは許されざる者、ミリオンダラーベイビーで組んでいる。

Scott Eastwood(スコット・イーストウッド)・・・・Joel Stransky(ジョエル・ストランスキ) 南アフリカラグビー代表選手
またの名をスコットリーブス イーストウッドの息子。グラントリノでスーのアホな白人の友達役だった。

Langley Kirkwood(ラングレー・カークウッド)・Geroge(ジョージ)
B級映画に多数出演。

Grant Roberts(グラント・ロバーツ)・・・・・・・・・・Ruben Kruger(ルーベンクルーガー) 南アフリカラグビー代表選手
俳優というより元々裏方さん。ミリオンダラーベイビーではヒラリースワンクの体重調整のトレーナー。スワンクはボクシング選手になるため筋肉をつけて大減量を行った。また作品ではスワンクが最後に対戦するビリーザブルベアーのセコンド役でチョイ出演。他ちょろちょろ映画に出演。ルーベンクルーガー本人は2010年1月27日に脳腫瘍で亡くなった。映画は南アフリカでは2009年12月にすでに公開されているので本人が映画を見たのだろうか。

Bonnie Henna(ボニーヘナ)・・・・・・・・・・・・・・・Zindzi Mandela(ジィンジマンデラ) マンデラ大統領の娘
南アフリカのアパルトヘイトを描いたフィリップノイス監督の”輝く夜明けに向かって”に出演。南アフリカ出身。

Sean Cameron Michael(ショーン・キャメロ・ンマイケル)・・・スプリングボックのマネージャー
南アフリカ出身。24リデンプションでジャックバウワーの古くからの友人役で出ていた。

Patrick Walton Jr.・・・スプリングボックのマネージャー
24リデンプションで海兵隊の役でチョイ役。彼も南アフリカ出身の役者さんなんだろうか

Matthew Dylan Roberts(マシュー・ディラン・ロバーツ)・・・大臣
2007年の”マンデラの名もなき看守”にもチョイ役で出演していた。彼も南アフリカ出身なのだろうか

Marguerite Wheatley(マーガライト・ホイットリー)・・・Nerine Winter マットデイモン扮するピーナーの奥さん
南アフリカ出身


Julian Lewis Jones(ジュリアン・ルイス・ジョーンズ)・・・・マンデラ大統領のボディーガード
イギリス人俳優。2009年2月21日の記事参照

Tony Kgoroge(トニー・キゴロギ)・・・・・Jason Tshabalalaマンデラ警備主任。左が演じたKgoroge。右が実際のTshabalala。バックを見る限りラグビーシーンの撮影現場でとられたもの。インタビューで映像も残っている。歴史の一部になれたことを嬉しいと話していた。
また左のKgorongeはブラッドダダイヤモンドやホテルルワンダにも出演。


Zak Feaunati(ザック・フュナティ)・・・・・・・Jonah Lomu(ジョナ・ロムー) 主役達の対戦相手ニュージーランド代表オールブラックス
フュナティは役者ではなく引退したばかりのラグビー選手。

Graham Lindemann・・・・・Kobus Wiese スプリングボクス選手。Lindermannは南ア国内ラグビー選手。
Thomas Boyd ・・・・・・・・Hannes Strydom スプリングボクス選手。Boydは南ア国内ラグビー選手。
Sean Pypers・・・・・James Small スプリンブボクス選手 Pypersは南ア国内ラグビー選手。

Junior Poluleuligaga・・・オールブラックス選手役。Poluleuligagaはサモアの代表選手。2007年ワールドカップ出場。
Patrick Bell・・・・・オールブラックス選手役。Bellは南アフリカ出身で現在珍しい北米ラグビーリーグでプレイしている。 2006年にはUSA Falconsという新興チームのキャプテンだった。
Simon-Peter Blakeley・・・オールブラックス選手役。スーパー14リーグ プーマスの選手。
Jean-Pierre Van Zyl・・・オールブラックス選手役 南アフリカ人で同姓同名でサイクリングの選手がいるが、同じ人だろうか。
Mohammed Ridhaa Damon・・・オールブラックス選手役 同姓同名の選手が現在のスプリングボクスにいる。同じ人だろうか
Mark Snodgrass・・・オールブラックス選手役 同姓同名で2005年南アフリカ空軍ラグビー大会でベストプレイヤーに選ばれている人がいた。同じ人だろうか。


 

映画プレプロダクション中の報道
・2007年6月28 日本のシネマトゥデイ映画ニュース配信
全米で封切られたばかりの『ブルース・オールマイティ』の続編『エバン・オールマイティ』でも引き続き神様役を演じているモーガン・フリーマンが、今度は南アフリカ共和国元大統領ネルソン・ロリハラハラ・マンデラにふんすることが決まった。作品はジョン・カーリンの刊行予定の小説を基にした『ザ・ヒューマン・ファクター』(原題)で、映画ではアパルトヘイト崩壊後に、南アフリカ史上初の全人種参加選挙によって大統領に就任したマンデラが開催した1995年のラグビーのワールドカップの様子を描いていく。脚本は『サウンド・オブ・サイレンス』のアンソニー・ペッカムが手掛け、フリーマンはプロデューサーとしても名を連ねる。

・2007年9月24日。ヴァラエティ紙「イーストウッドがネルソンマンデラの映画に興味を。」
「1995年ラグビーワールドカップが南アフリカのアパルトヘイト後の社会の最初の大きな国が一つになるためのイベントになった。モーガンフリーマンがネルソンマンデラ役で契約済み。原作は"The Human Factor: Nelson Mandela and the Game that Changed the World." John Carin著。マットデイモンとラグビーチームのキャプテンFrancois Pienaar役で交渉が行われている。フリーマンが共同でプロデュースを勤める。フリーマンがイーストウッドの声をかけたもので、フリーマンは春に南アフリカへ行っている。脚本は南アフリカ人のAnthony Pecham」



・2007年11/12月号のAARP Magazineのフリーマンのインタビュー。フリーマンはイーストウッドにこの映画の監督を受けてもらいたいと話している。イーストウッドはフリーマンの尊敬する三人のうちの一人。他2人はマンデラ、ダライラマ。
この頃イーストウッドはアンジー主演のチェンジリングの撮影準備の最中。チェンジリングが12月に撮影。

・2008年6月のヴァラエティ紙がマットデーモンがイーストウッド監督のヒューマンファクターに出演と報じる。
「デーモンがラグビースターFrancois Pienaarを演じる。アパルトヘイトで傷ついた国から立ち直るきっかけとなった1995年ラグビーワールドカップが描かれる。モーガンフリーマンが親友イーストウッドとワーナーブラザーズをプロジェクトに引き込んだものでイーストウッドのマルパソが製作する。

・2008年8月
マンデラ役のモーガンフリーマンが不倫の女性を車に乗せ交通事故。食事中に飲酒。モーガンは救急車が到着した時には意識があったが重態と伝えられる。
その後すぐに命に別状なしと報道。同乗の女性も骨折など重傷。
直後モーガン離婚。さらにのちに同乗の女性にも飲酒運転だったことで訴えられる。


・2008年8月17日付け Stuff.co.nzというニュージーランドウェブサイトの配信
”イーストウッドがマンデラフィルムのオールブラックス役を求めている”
「ラグビーファン。イーストウッドが1995年のニュージーランドのオールブラックス(ラグビーニュージーランド代表)の選手役を探している。現在決まっている役者はオーストラリア代表Francois Pienaar役のマットデーモンのみ(選手役では)。南アフリカの大統領マンデラ役はモーガンフリーマンでフリーマンが映画化権を購入した。」
このころイーストウッドは自身が主演するグラントリノの撮影中。

・2008年11月、チェンジリングの公開用のインタビューで次回作(すでにグラントリノは完成で公開待ち)の撮影に関してイーストウッドは「来年の3月か4月に南アフリカで撮影をする予定。」と話す。

・2008年11月 アメリカの最大のオークションサイトE Bayで以下の品が出品される。
「クリントイーストウッド監督、マットデーモン主演の南アフリカで撮影される映画の見学。撮影スタッフと同じホテルに二泊含む三泊・6万マイルのアメリカンエアラインのマイレージ。人生のプライスレスの経験”
イーストウッドファンが落札して、現地イーストウッドファンサイトに、やったーーーの書き込みをする。
なおこのファンはの奥さんはとても奇麗な方である。後にイーストウッドと夫妻でとった写真が現地ファンサイトにアップされた。とてもうらやましい話である。


WWEやプロレスの記事を配信しているPWtorch.comが元WWEのロック様、Dwayne Johnsonがヒューマンファクターの小さい役で出演契約と伝える。ニュージーランド、オールブラックスのJonah Lomu役。 写真がLomu。南アフリカの相手チームの選手で出演するゆえ、演技力ではなくその肉体でキャスティングされたのであろう。
がしかしのちに誤報と判明。09年3月26日にZak FeaunatiがLomu役を演じると伝えられる



・2008年12月30日
止まらざることサメの如し。イーストウッドはイギリスBBCの番組用のトニーベネットのドキュメンタリーを制作することが伝えられた。イーストウッドがベネットにインタビューを行う。イーストウッドは1926年生まれのベネットのファン。イーストウッドはアメリカ本国でもベネットのドキュメンタリーの製作をしている。


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・プラネットラグビーというサイトがラグビーファンから見たら南アフリカ代表の理想のキャストはこうなんだけどなーという企画を行った。

Andre Joubert  : ラッセルクロウ
フルバックのロールスロイス。手首を折りながらのプレイはタフ。おまけにクロウはニュージーランド生まれ。決勝の相手はニュージーランド。

James Small  : マークウォールバーグ
バッドボーイにはバッドボーイを。互いに薬物問題とアルコール。そして大事なことは・・・二人とも改心して真っ当になっている。

Japie Mulder  : マットデイモン
決勝でオールブラックスのJonah Lomu(ロック様が演じる)に決めたタックルは見事。彼がPienaar役を演じるのはわかってる。でもなんか彼はジェイソンボーンぽくないしな。彼はバックラインに下げておきたいよ。

Hennie le Roux  : ベンアフレック 
MulderrのパートナーのRouxにはアフレック。Mulder-Rouxとデイモン-アフレックの関係は似ている。互いにいい奴。そして片方のほうが才能に恵まれ片方は・・・・。

Chester Williams  : ウェズリースナイプス
この役は難しい。デンゼルワシントンやキューバグッデンジュニアやウィルスミスはマンデラ役じゃないなら断るだろう。予算を相談して・・・スナイプス。なおWilliamsはこの映画のためのラグビーコーチとして俳優を鍛える。

Joel Stransky  : ジェイクギレンホール
ドロップゴールがニュージーランドの心臓を打ち抜いた。ここはしばし甘い顔で女性の心臓を打ち抜いているギレンホールを。
実際にはイーストウッド監督の息子Scott Reeves(Scott Eastwood)22歳が演じる。

Joost van der Westhuizen : ジョニーデップ
セレブなスクラムハーフはStranskyのドロップゴールのお膳立てをした。ラグビーファンだし巨大なWesthuizen役をいう至難の役を演じてもらう。

Mark Andrews : ヴィンディーゼル
ハゲの役。ぴったし。ディーゼルの声もぴったし。

Ruben Kruger  : アーロンエッカート
パワーハウスフランカーには顎の線が瓜二つのエッカートが。

Francois Pienaar  : ダニエルクレイグ
マットデイモンが演じるんだけど、ここは007で見せた筋肉が素晴らしいクレイグへ。クレイグの南アフリカアクセントもいけている。フリーマンからカップを受け取るシーンはオスカー受賞の練習になるよ!

Kobus Wiese  : マイクマイヤーズ
巨大なロックは当時の髪型を続けている。でかすぎるしアホみたいな特殊メイクアップも必要。オースティンパワーズであれだけアホメイクしたマイヤーズなら耐えられる。

Hannes Strydom  : ティムロビンス
静かな長身ロックは長身アカデミー男優が。輝く夜明けに向かって Catch a Fire で南アフリカ製作映画にも出てるし。

Balie Swart : ジョン・グッドマン
キャスティングディレクターにはこの選択はわけわからないだろうね。グッドマンとロザンヌバー(デブなコメディ女優)と悩んだんだけど。

Chris Rossouw  : クリスオドネル
童顔には童顔を。バットマンでも緑のコスチューム着てたしね。

Os du Randt 役 : Os Du Randt
二度のワールドカップチャンピオンの彼を出来る奴は本人しかいない。

他役があるのかわからんけど
Suzie 役 シャーリーズセロン 
ワールドカップ前日のオールブラックスの選手に毒を盛ったといわれるウェイトレス。南アフリカ出身だし

Jonah Lomu 役 デュウェインジョンソン
Zak Feaunatiがこの役をやる
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・2009年1月 ケープタウンの地元紙より 
PienaarはデイモンがPienaarlを演じることをとても喜んでいる。脚本も読ませてもらっており、いろいろな記事も読んでいるという。記事によると来月には三ヶ月のロケが始まるという。現地のフィルムコミッションは役者がいつから入るのかは明らかにしたくないという。たくさんの南アフリカの人間がこの映画に関ることになるという。

・2009年2月21日ウェールズ地元紙記事
ハリウッドの偶像。そしてほとんどしられていない役者。Julian Lewisは伝説のイーストウッド映画に出るため南アフリカ行きの準備をしている。40歳は今週にも11週間の出番の予定のため南アフリカへ発つ。 イギリス生まれの俳優はロンドンで行われたオーデションに参加した。彼は白人のマンデラのボディーガード役を狙っていた。ある週末、ウェールズとスコットランドの試合を見に行った。ウェールズが勝った試合だった。明けた月曜日、役をもらったことを知った。
「これは大きな映画の大きな役だ。待ちきれない。現代の伝説の映画に参加できるんだ。」とJulian。
映画は1985-1995年を描くもの。2010年初頭に公開される予定。(ウェールズの記事なので公開予定はイギリスなどの予定)

・2009年3月2日 NYDailyNews配信の記事。
「ヒューマンファクターのプロデューサーがヒューマンファクター撮影中のイーストウッド監督とマンデラ役フリーマンの健康を心配して専属医師をつけることにした。特にフリーマンは八月に妻でない女性を車に乗せ事故を起こして重症で病院に運び込まれている。
「彼はほんとに死にそうな事故だったからね。この映画は予算も大きいし」と情報筋。
「もちろん彼らは出発前に健康診断を受ける。それは当然だ。皆するんだから。専属医師も両サイド合意でつくことだよ」と話している。78歳の監督と71歳の役者のコンビである。

・3月4日 Filmmaker South Africa配信
3月2日にタイトル未定のワーナー映画の撮影が南アフリカで始まる。撮影はケープタウンとヨハネスブルグで何百もの地元クルー、キャスト、エキストラを使い行われる。
映画プロデューサー達から
「我々は皆に感謝しており、南アフリカ政府に、厚いもてなしと協力に感謝しています。この素晴らしい国で撮影できることにすり酢を感じており、何週間に渡りここに住み、働くことが楽しみです」とのコメント。

・3月8日 The Times 配信
マットデイモンがラグビーのトレーニング中に足首を捻挫した。木曜日にケープタウンのGardensRugby Clubでボールを蹴る練習をしていた。仮タイトル"The Mandera Project"の撮影のための練習。

・3月9日 Popsugar.com配信
デイモン南アフリカで68-mile (109-kilometre) Cape Argusバイクトレックに兄Kyleと参加。

なお4日にはジンバブエの難民キャンプがある国境の町Mushinaを訪問。人道支援団体“ノット・オン・アワ・ウォッチ(Not on Our Watch)”の活動。オーシャンと仲間たち、ジョージクルーニーやブラッドピット、ドンチードルらがメンバーになっている同団体は”映画『ホテルルワンダ』にドン・チードルが出演したことをきっかけに、ジョージ・クルーニーらが西ダルフール紛争の惨状に目を向け、組織した支援団体です。これまでにも国連本部で西ダルフールについての会見を行ったり、前国連事務総長コフィ・アナンと会見し、西ダルフール問題解決に向けた働きかけを行ったりしてきました”とのこと。デイモンは18歳のレイプされた少女の話などを聞いて涙ぐむ。

・3月12日 World Entertainment News配信
イーストウッド監督、息子Scott Reeves(Scott Eastwood)22歳を南アフリカラグビーチームJoel Stransky役でキャスティング。”父親たちの星条旗””グラントリノ”に続くイーストウッド監督作品三本目の出演。Stranskyは95年ワールドカップ決勝でドロップゴールで南アフリカに勝利をもたらせた。

南アフリカチームを率いる金髪デイモン。周りデカ!!。

・3月15日 thebadandugly.comというイーストウッド映画のタイトルから名づけたようなサイト配信の写真

・3月18日
SUN紙によるとマットデイモンがラグビーシーンの撮影中にひざをひねり、撮影はデイモンが回復するまで中断することになった。
撮影地の南アフリカに住むイーストウッドファンが、アメリカのファンサイトの掲示板に書き込んだものによると、デイモンはボールを蹴ろうとしたところ地面を蹴ってしまったという。このニュースを聞いた時、書き込みをしたファンのオフィスは、デイモンは適役じゃなかったんじゃないのかと笑いが起きたという。
またこのファンによるとNewlands rugby stadiumで3月16-19日の間毎日朝7時30分からラグビーシーンの撮影があり、エクストラを募集しており一日300ランド(約3000円)で、参加したい人がいれば何人でもつれてきてよいと案内にあったという。

・3月26日 TIMES ONLINE配信
34歳で08年に引退したフォワードZak FeaunatiがJohah Lomuを演じる。
BathのDavid Barnesの推薦でLondonでスクリーンテストを受けていた。
「最初にBath時代のチームメイトBarnesが興味があるか電話してきた。冗談を言っているのかと思った。あとでPRAの人間から連絡を受けてまじめな話と思った」と話している。

・3月30日 さまざまなメディア
本作の脚色を担当したAnthony Peckhamはレーサーを描いた”The Limit”の脚色担当する。トビー・マグワイアがプロデューサーを務める本作は2009年秋に発売されるMichael Cannell著の作品の映像化。発売前の本だがマグワイアが飛びついたという。マグワイアはスパイダーマン4の後に映像化、マグワイアが主人公Phil Hillを演じると予想される。


・3月30日 スポニチ ”イーストウッド俳優引退宣言、監督専念へ
「米俳優のクリント・イーストウッド(78)がこのほど、米ロサンゼルスでスポニチ本紙の単独インタビューに応じ「もう積極的に役は探さない」と、実質的な俳優引退宣言を行った。「今後は監督業に専念したい」と話し、4月25日に日本で公開される監督・主演作「グラン・トリノ」が最後の出演作品になる可能性が出てきた。同作は全米でも大ヒット。日本でも“大スターの引退作”として注目を集めそうだ。

  1959年に米CBSで放送がスタートしたテレビ西部劇「ローハイド」でスターになってから50年。イーストウッドの口から“引退宣言”が飛び出した。

  「もう積極的に自分が演じる役を探すことはしない。いまの映画の役は、みんな若い役者向けに書かれているから」。1メートル88の巨体を椅子に沈めて、穏やかな口調で話した。映画に出演するのは、04年に米アカデミー賞の主演男優賞候補になった「ミリオンダラー・ベイビー」以来4年ぶり。「監督だけをやっていこうと、ここ何年も思ってきた。でもこの“グラン・トリノ”の頑固な元軍人役にはひかれたんだ」と笑った。

  アジアの少数民族の移民の青年との交流を通し、心を開いていく朝鮮戦争経験者役。「“ジェネレーション・ギャップ”に興味がある。僕たちの世代が若い人とどう付き合っていくべきか、この作品を通して考えてもらえればうれしい」と話した。惜しくもアカデミー賞の候補にはならなかったが、批評家からは「イーストウッドの新境地」と、その演技は高く評価された。ただ「人と賞を争うのは、もういいよ。席でじっと発表を待っているのもいやだしね」と、演技での賞レースから撤退の意向も表明した。

  「ダーティハリー」などの型破りなアクションで世界を魅了してきたイーストウッドだが、90年代には入ってからは監督としての手腕を発揮。「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」で、米アカデミー賞作品賞、監督賞の同時受賞を2度も達成している。「今後は監督業に専念するよ」とあらためて宣言。新作は南アフリカのネルソン・マンデラ氏を題材にしたもの。その準備のため今作での来日は難しそうだが「“ローハイド”の時代から支えてくれている日本のファンには感謝している。少し先になるかもしれないけど必ず行く。保証します」と、再来日を約束してくれた。」


ただしイーストウッドは昨年もイギリスのメディアに”この年になるとやれる役がない”と話、引退宣言として世界的に伝えられたが、本人はのちに”やる役がないっていったら引退宣言と伝えられた”と話している。今回も、見出しは引退宣言とあるが、本文では”積極的には役は探さない”と話しており、額面通り受け取るファンは皆無と見られる。

・4月3日 POP SUGAR配信
南アフリカのケープタウンで撮影中のスタッフ。ケープタウンに開かれるリゾートホテシャロンストーンらが参加。われらがイーストウッドも参加。

・4月5日 イーストウッドファンサイトより
本映画の撮影地南アフリカの旅With映画のプチ参加ツアーをオークションで落札したファンが現地のイーストウッドファンサイトに、ツアー無事終了、アメリカ帰国の報告を行った。 訪問中の撮影終了後、このファン夫妻はイーストウッドと数分間一緒にすごすことが出来、写真ととってもらい、サインをしてもらい、とても素晴らしい体験だったという。ツアーの詳細は後でまた報告しているとこの日の報告。
なお撮影現場ではこの映画は"Human Factor"とも”Playing The Enemy"とも呼ばれておらず、"Untitled Mandela Project”"タイトル未定のマンデラに関する映画と呼ばれているそうだ。

・4月12日 Film Experience Blog

現地アカデミー予想サイトのブログ。ヒューマンファクターの名で呼ばれる未タイトル映画はネルソンマンデラを扱った伝記映画ではなく、実在の人物が登場する、ラグビーを主体としたスポーツドラマの模様。しかし伝記映画同様、スポーツドラマもオスカーでは愛される題材ゆえアカデミーの可能性ありと予想している。
左の絵はサイト制作によるあくまでも非公式のイメージ画。ただし近年のイーストウッド映画からすると内容が軽すぎるのではともしている。あくまでも単なる予想サイトのものでっす。

 

 

 

 

 

・4月29日 Entertainment iafrica配信
予定より二週間早く撮影を終了。キャストは年末(南アフリカでの)公開にあわせて宣伝のため南アフリカに入ると思われている。

・5月14日
マンデラ財団主催した、マンデラを称える”マンデラの日”の制定イベントにイーストウッドが参加した。モーガンフリーマン、シャロンストーン、フォレストウィテカー、マリサトメイ他も参加。
マンデラの誕生日でもある7月18日をその日としている。

・6月3日 http://incontention.com/配信より
長らくヒューマンファクターの仮タイトルで伝えられていたイーストウッド監督のネルソンマンデラの映画。incontention.comのCristopher Tapleyがワーナー映画に確認をとったところ映画のタイトルはInvictus(ラテン語で英語のInvincibleにあたる)=無敵、無敗。インヴィクタス もしくはインビクタス)になるという。William Earnest Henleyが1875年に書いた短い詩でマンデラの黒人の自由を勝ち取る運動の理由となった詩。
以下リダーズダイジェストのマンデラのインタビュー
RD 刑務所にいた間、歌などなにかあなたの心の助けになったものはありますか?
マンデラ:それは英語の詩だ。W.E. HenleyのInvictus。最後のラインだ。” その門がどれだけ狭いとしても、そのまま何故罰を受ける必要があるのだ。. 私こそが私の運命を決める主であり、私こそが私の魂を導く者なのだ”
(It matters not how straight the gate, How charged with punishments the scroll, I am the master of my fate: I am the captain of my soul.)
ウィリアムアーネストヘンリーは19世紀のイギリスの詩人。
eiga,comによると”片足だった詩人ヘンリーは、彼の友人ロバート・ルイス・スティーブンスンが「宝島」の中で海賊ジョン・シルバーのモデルとした人物でもある。”だそうだ。

なおこの詩はイーストウッドが昨年の大統領選で応援していたJohn McCainも好んでいるよう。マケインもNY Timesの記者との電話の会話で、Henryの詩を引用していたという。 昨年イーストウッドがグラントリノの撮影中、デトロイトのホテルで、偶然大統領選挙の選挙活動をしていたマケインと出会い、マケインもイーストウッドのファンということで話し合ったという。

9.11の同時多発テロ以前ではアメリカ国内で起きた最大のテロ行為ともいわれる、オクラハマでの連邦政府爆破事件(168人もの人間が亡くなった。)の犯人ティモシー・マクベイ(死刑執行)も遺書にヘンリーのInvictusの詩を書いていた。


上記サイトのファンからの投稿欄には、初期の脚本を見た人間が、最終バージョンでないためどうなったかはわからないが、その詩が映画の中にも引用されていたとの書き込みも。


・6月5日 さまざまなネット配信 公開日決定
オスカー予想サイトOscar Conterdersによると"Invictus"が正式タイトルであること、アメリカ公開が12月11日と正式にワーナーから発表された。同日はパラマウント映画のピータージャクソン監督のThe Lovely Bones公開される。

・6月11日
movienet.co.jp、cinemaonlineなど日本の映画サイトの多くで日本公開は正月第二弾と伝えた。

・7月25日 Deadlinehollywooddaile.com配信
"Produced By"という映画プロデューサや会社関係者のシンポジウムにイーストウッドと自身の映画会社マルパソのプロデューサーRob Lorenzが参加。パルパソの映画制作について語った。イーストウッドは次作Invictusについても語った。それによるとイーストウッドが聞いている話では予算は50ミリオン程度だという。撮影期間は55日。予定より四日か五日早く終わったという(撮影終了当時は2週間予定より早かったと伝えていたメディアもあった)。

・7月28日
1995年の南アフリカで開催されたラグビーワールドカップが舞台の本作。
2019年に開催されるラグビーワールドカップの開催地が日本に決定した。

・7月30日
ピアニストRoger Kellawayが映画の音楽チームに加わった。
「彼(イーストウッド)が電話してくて、スタジオに来てピアノを弾いてくれないか?と電話してきたんだ。」とKellaway。その数日後また電話がなり、今度は作曲にも手助けをしてくれないかとの内容だった。
「彼とは友達なんだよ。彼は僕のプロジェクトで(Visions of America)でナレーションを入れてくれたし。今度の仕事には興奮しているよ。なんたってフルオーケストラで指揮を執るんだよ。44の弦楽器でなるものだけど、彼はもう少し多く入れたいそうだよ」とKellaway。二週間後にKellawayはイーストウッドとの作業を開始。
「大きなスクリーンの前でフルオーケストラを指揮するのはミュージシャンとして最高に興奮することの一つ。」とKellaway。Kellawayとスタッフは四日でミックスを行う。


・9月14日
Matt Damonは現在38歳。キャリアの目標としてイーストウッドの足跡を歩むことを目指している。
「彼(イーストウッド)は39歳で演出を始めた。僕は今38歳。40歳までは演技だけでいって、演出を始めたら彼と同じキャリアを歩みたい」とDamon。
「人生でやりたいことをやれるって人は少ないよ。ベンアフレックやジョージクルーニーら僕が尊敬しいている人と話すんだけど僕たち皆彼のことを尊敬しているんだ」とのこと。

・9月17日
マットデイモンはまだInvictusの作品を見ていないという。まだ仕上げの段階と見られる。デイモンがイーストウッド監督と話をしたところ、かなりよい感触を持っているという。


・9月18日
イーストウッド監督とマットデイモンが再び組む。アメリカの映画サイトが一斉に報じたもの。イーストウッドが超自然現象をテーマに映画制作と伝えられていたThe Hereafterというタイトル。The Hereafterがイーストウッドが製作すると最初に伝えられたのは2008年の11月のことだった。QueenやForest/Nixonの脚本を書いたPeter Morganの脚本でもともとスピルバーグのドリームワークスが権利を持っていたがイーストウッドが脚本を読み興味をもち、仲のよいスピルバーグからイーストウッドのベースになっていうワーナースタジオでの製作が実現したという。昨年11月の報道ではドリームワークスがイーストウッドを監督として交渉中と伝えられていた。

・10月28日
映画のオフィシャルサイトは
http://invictusmovie.warnerbros.com/
予告編やポスターがアップされている

・11月2日 日本のeiga.comに以下が配信
[eiga.com 映画ニュース] クリント・イーストウッド監督の最新作「インビクタス/負けざる者たち」のフル予告編が米Appleサイトで初公開された。

獄中生活を余儀なくされていた反アパルトヘイト活動家のネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)が、やがて南アフリカ大統領に就任。1995年にラグビーワールドカップを自国開催し、同国代表チーム“スプリングボクス”のキャプテン、フランシス・ピエナール(マット・デイモン) と力を合わせ、人種の壁を超えて黒人・白人混成チームを作り上げ、奇跡の初優勝を飾るまでを描く実話にインスパイアされた感動のドラマ。タイトルは、マン デラが獄中で心の支えとした英国人詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの四行詩に由来する。全米公開は12月11日で、アカデミー賞でも作品、監督、主 演男優、助演男優賞をはじめ、多くの技術部門での受賞が期待されている。

オスカーウォッチに定評がある米映画サイトRopeofSiliconでは来年、5本から10本に増えるアカデミー作品賞ノミネート作品を大胆予想。同作は堂々の第1位にランクインされている。

1.「インビクタス/負けざる者たち」(クリント・イーストウッド監督)
2.「マイレージ、マイライフ」(ジェイソン・ライトマン監督)
3.「アン・エデュケーション(An Education)」(ロネ・シェルフィグ監督)
4.「プレシャス」(リー・ダニエルズ監督)
5.「ハート・ロッカー(The Hurt Locker)」(キャスリン・ビグロー監督)
6.「NINE」(ロブ・マーシャル監督)
7.「カールじいさんの空飛ぶ家」(ピート・ドクター&ボブ・ピーターソン共同監督)
8.「アバター」(ジェームズ・キャメロン監督)
9.「ブライト・スター(Bright Star)」(ジェーン・カンピオン監督)
10.「イングロリアス・バスターズ」(クエンティン・タランティーノ監督)

またCBSなどの番組でもいよいよ取り上げが始まり、大リーグワールドシリーズではバックネット下にInvictusの宣伝がとりつけられた。テレビ視聴者が一番見る箇所。

・11月12日ArgusLeader.com配信
クリントイーストウッドの息子カイルはインビクタス用のスコアを書き終えた(音楽入れが終わった?)。カイルは現在フランスに住んでおりこのあとイギリスでライブを行う。カイルは自らが率いるジャズバンドと父の映画の音楽を担当する二つの仕事のバランスが難しいと認めているという。また父の映画で好きな映画はアウトローでジェリーフィールディングによる音楽も好きだという。難しいとしながら今後も父の映画で父との仕事を続けたいと話している。

 


映画完成後のニュース

・11月20日
ファイナルバージョンかは不明であるが131分のバージョンで試写が行われた模様。見た人間の意見はあまり芳しくなく、見せることより語ることで伝えようとしてることに不満が出ている模様。アカデミーにノミネートされるような作品ではなくありふれたスポーツドラマとの意見も。

・11月22日
試写を見た人の感想。イーストウッドファンである彼は”とてもすばらしい出来とはいえない”としている。商業的な映画であり、モーガンフリーマンの演技も退屈だという。ただし映画の中で何度も思わず涙してしまったシーンもあり、今年はアカデミーノミネートが10本に増えていることからすべりこみノミネーションはあるのではとしている。アカデミー作品というほりは、スポーツ娯楽作品でネルソンマンデラの要素は少ないのであろうか。

・11月25日 見た人の感想をネットで拾ったらこんなことが書いてあった 
すでに試写会は行われたがいまだレビューが出ていない。その理由が明らかに。とある映画ライターが試写に出席したが、レビュー記事はまだ書かないようスタジオ側から伝えられたという。通常、よく出来た映画の場合、公開前に、良い評価を書いてもらいたいもの。また逆に中味の無い映画は不評が広がるのを恐れ、試写などをパスして行うこともある。今回のスタジオ側の狙いはなんなのであろう。
なお11月17日に行われた試写ではイーストウッドへの取材の場もあったようで、ネットで見た限り日本の著名なライターもこの日、イーストウッド、モーガンフリーマンへの取材を行っている。取材の中味は今後公開が近くなったときに、なんらかのメディアで読む、聞くことが出来るのであろう。
英語の映画サイトの掲示板では一部見た人が少し書き込みを行っている。
”成人した大人の男性が涙ぐんでいた。それも何百という大人の男性が。最後に大人の男性が泣くことが出来たスポーツ映画は、炎のランナーまでさかのぼらなければいけない、そして炎のランナーはアカデミーと獲っている”と書いた人、また
”すばらしいエモーショナルな映画だった。そしてラグビーファンとしていいたい。ラグビーシーンがすげー”と書いている人がいた。
また一部モーガンフリーマンよりもマットデイモンの方がいい役なのではとのうわさが出ていることに、見た人は、フリーマンが主役でデイモンは二番手の役だったともかいてあった。南アフリカの人権問題との戦いという時代背景がある映画だが、政治的な部分はかなりシンプルになっているという。

・11月25日 アメリカ現地25日のアメリカ大手News Week誌電子版でDavid Ansenによるメディアで最初のInvictusのレビューが出された。AnsenはAnthony Peckhamの脚本が少し鼻につくきらいがあるものの、そんなささいな欠点は映画を見ているとは信じられない魂が震える物語を前に完全に消えうせていると賛辞のレビューを出している。
Ansenは昨年もあまり評価が伸びなかったChangelingでも賛辞のレビューだった。

・11月28日 アカデミー賞に向けて アーリーレビューはいまいち
映画評論家によるレビューが出始めているInvictus。オスカーレースに向けて期待はずれ。
Jeff Wellsは出されているレビューから、見出しで”イーストウッドのInvictus評価いまいち”との記事を書いており、Wells自身は恐怖のメロディ、ミリオンダラーベイビーらイーストウッド作品のファンから見てInvictusはイースト監督作品の中の二番手グループと評価。
Steve Pondは同じように出されている評価から”オスカー?まだまだ、評価が落ちてきている”とし、”今のところ評価はされているが、絶賛の評価はされていない”と書いている。
現時点では、Invictusは好かれているが(LIKE)、愛まではいっていない(LOVE)という感じ。

・12月2日 Film JournalのDaniel Eaganの記事より
マットデイモンが本作出演の報が出たのは2008年だったが2007年9月に出演依頼を受諾していた。デイモンは背が低いが、イーストウッド監督はスクリーン上では背の低さは実際より出ないとデイモンに話したという。

Pos Sugar,comより
12月1日にニューヨークシティーミュージアムでイーストウッドを称えるイベントが行われた。モーガンフリーマンにヒラリースワンク、マットデイモン、ケビンベーコンらが出席。 なおInvictusのプレミア試写も行われている。


・12月4日
アメリカ現地時間水曜日(2日)、Los Angelsプレミア開催。アンジェリーナジョリとブラッドピット夫妻。8歳の長男マダックス君も会場に。女好きエロ爺さんイーストウッド監督も奥さんの手をつなぎ、なぜか映画撮影中の写真より若く見える。モーガンフリーマン、そしてNYで撮影の合間をぬってマットデイモンも会場に。さらにイーストウッドの一番最初の妻マギーも、イーストウッド家の長女アリソンと。



他日本のメディアも伝えいてる


[eiga.com 映画ニュース]

クリント・イーストウッド監督最新作「インビクタス/負けざる者たち」のワールドプレミアが12月3日(現地時間)、ロサンゼルスのアカデミー・オブ・モーション・ピクチャー・アーツ・アンド・サイエンスで行われた。

同作は、イーストウッド監督がメガホンをとる30本目の記念すべき作品。南アフリカの大統領に就任したネルソン・マンデラ大統領が、ラグビー代表チームのキャプテンとともに国民の心をひとつにしようと奮闘する姿を描く感動作だ。

プレミアには、イーストウッド監督とともに主演のモーガン・フリーマン、マット・デイモンが出席。ワールドカップでも大活躍した実在の人物を演じたデイモンは、「脚本・原作が素晴らしい。ネルソン・マンデラを語るうえで欠かせない最高のストーリーだ」と興奮気味。イーストウッド監督とは初タッグになるが、「役者としてこれ以上の経験はありません。デ・ニーロと仕事をするみたいなものだから、雲の上の人として見てはだめなんだ。仕事にならないからね」と語った。

レッドカーペットには、渡辺謙・南果歩夫妻、ピアース・ブロスナン、オーランド・ブルームらも駆けつけた。渡辺は、「どうしたらこういう面白い話を探し出してくるのか不思議です。彼のもつアンテナがすごいのだと思う」とイーストウッド監督に最敬礼。「硫黄島からの手紙」に出演以降、メールのやり取りを続けているそうで「そうそうにお呼びがかかることはないと思いますが、どんなことがあっても、いつでも、短いシーンでも要請があればお受けしたい」と熱烈に訴えた。

一方のイーストウッド監督も、渡辺について「ぜひまたやりたいと思う。謙は素晴らしいアクターだし、『硫黄島からの手紙』では素晴らしい時間を過ごすことができた」とニッコリ。そして、日本について「とても良い印象がある。『グラン・トリノ』も受け入れてもらえたしね。僕の心は日本にある。I’ll be back!」と来日を示唆するコメントを残した。

「インビクタス/負けざる者たち」はワーナー・ブラザース配給で、2010年2月5日から全国で公開。

[シネマトゥデイ映画ニュース]

アカデミー賞候補と呼び声が高い、クリント・イーストウッド監督の『インビクタス/負けざる者たち』のワールドプレミアが12月3日の18時(日本時間12月4日11時)にロサンゼルスで開催され、クリント・イーストウッド監督と親交の深い渡辺謙が夫人の南果歩とともにレッドカーペットを歩いた。

 イーストウッド監督は、映画『硫黄島からの手紙』での渡辺謙を高く評価しており、再会を楽しみにしていたらしい。今後、渡辺を起用する予定について尋ねると「ぜひまたやりたいと思う。特に誰とやるというのは決めていないけれど、最終的にストーリー次第だ。謙は素晴らしいアクターだし、『硫黄島からの手紙』では、素晴らしい時間を過ごすことができた」と渡辺を絶賛した。

 一方の渡辺は、イーストウッド監督とはメールのやりとりはあるものの、会うのは『硫黄島からの手紙』以来とのこと。新たなイーストウッド監督からのオファーについては、「こんないい作品ばかり撮り続けて、そうそうにお呼びがかかることはないと思いますが、どんなことがあっても、いつでも、短いシーンでも要請があったらぜひお受けしたいと思います」と謙虚なコメントながらもイーストウッド監督からのオファーを熱望しているようだった。また、果歩夫人に「久々のレッドカーペットですか?」と尋ねると、渡辺と見つめ合い「ニ人で歩くのは久しぶりだね」とほほ笑み、夫婦仲むつまじい様子を見せた。

 また、映画『バットマンビギンズ』で共演したモーガン・フリーマンは、渡辺と果歩夫人と共に記念写真を撮る仲の良さ。「謙とはまた仕事をしたい」とモーガンも渡辺の人柄にほれ込んでいる一人のようだった。

 『インビクタス/負けざる者たち』は、アカデミー賞前哨戦と言われる米ナショナル・ボード・オブ・レビューにてクリント・イーストウッドが監督賞、モーガン・フリーマンが主演男優賞を受賞している。4度のオスカー受賞を誇るクリント・イーストウッド監督に、また新たな栄冠をもたらす可能性は十分ありえる。

 物語は1994年に新しく就任したマンデラ大統領が、アパルトヘイトにより人種差別や経済格差が依然として残っていることを痛感し、人々をスポーツを通して団結させられると信じて、弱小ラグビーチームの立て直しを図る感動物語。日本では2010年2月5日に公開。

・12月4日
現地時間3日、モーガンフリーマンが本作品の主演により、またイーストウッドが本作品の演出にによりそれぞれアメリカナショナルボード・オブレビューの主演賞、監督賞を受賞。なおフリーマンの主演賞はマイレージマイライフのジョージクルーニーと同時受賞。作品賞もマイレージマイライフ。

・12月5日
インビクタスの日本語のHPがスタート。日本語字幕入りの予告編などみることが出来ます。こちらからどうぞ。

・12月9日
モーガンフリーマンが映画の舞台南アフリカのプレミアに参加。

・12月10日
本作のアメリカ評論家の評価は肯定的、でも絶賛ではなく、肯定的な意見でも点数でいえば60-80点クラスで満点にはならずという評価に落ち着きそう。
ここ10年のイーストウッド監督作品ではもっともLight(軽い)でStraight(直線的)であり、南アフリカの人種的な問題がテーマと見られていた当初から見て、政治的にも触れられるわけではなく、またひねりもなく予想できる展開と批判しているレビューも多い。
現在アメリカの批評を集めたサイトRotten Tomatosでは79%の批評が肯定的(肯定31、否定8)。またRotten Tomatoがそれぞれの批評が映画にあたえた評価をサイトの定義により点数化させた場合、アメリカの批評家が本作に与えている評価は10点満点で平均6.7点。また世界中の映画ファンが採点する映画サイトInternet Movie Data Baseでは206人が採点をし10点満点で平均8.7点となっている。まだ数は少ないが評論家の批評を点数化するサイトMetacriticでは大手10のメディアの批評をとりあげ、批評をサイトの定義により数字化。100点満点で平均71点となっている。


・12月10日
日本でメディア向け試写が行われる。


・12月11日
管理人インビクタスを試写会で見る。
この映画ラスト30分くらいが1995年のラグビーワールドカップ決勝の模様なんだけど、そこにいくときにはすでに満員に埋まった試写会会場は、涙腺ダムが崩壊状態。これからオーラスの決勝の試合なのに、その前にもう涙目状態。
この映画は完全にモーガンフリーマン主演で、祖国南アフリカを立て直すために燃える男マンデラの物語。
感動するのはラグビーで勝利したからではない。
国のために勝利を願うマンデラを応援する気持ち、
サッカー人気が高くラグビーを馬鹿にしてたのにいまや、白人も黒人も一丸となってチームを応援している南アの人たちを応援する気持ちから感動する映画。
なのでラグビーファンでない方もどうぞ。いやもしかしてラグビーファンでないほうが楽しめるかも(理由は下)。日本のサブタイトルに負けざる者たちってあるけど、複数形でなく、単数形が正しいと思う。負けざる者=マンデラ。
新鮮だったのは試合シーンで、テレビやラジオなどのアナウンサーの声をほとんど入れなかったこと。状況説明や試合を盛り上げるためアナウンサーの状況説明が入れられるのが大抵のスポーツ映画だが、テレビを見ているシーンをのぞいて、アナウンサーの声は入っていなかった。点が入ったとき場内のアナウンスでスコアが説明されていただけ。観衆の声と選手達の動きだけで、試合を説明していた。
なおこの大会での南アフリカは参加チームの中で9番目程度の評価でベスト4までが限度と見られていたそう。

ラグビーファンの皆様には。
ラグビーファンはラグビーシーン、およびラグビーの扱いには不満をもつかもしれない。アメリカ映画でアメリカでラグビーは人気があまりないということ、またこれはラグビーというスポーツを描く映画でないということ、と製作側は考えているのか、ラグビーというスポーツを魅力的に映していないです。ラグビーの技術的なことも、何も描かれていない。試合シーンは、アップでボール持った選手が走り、タックルされ、スクラムして、笛がふかれて、キックけって、もみ合って・・・・という映像がフラッシュバック、スローモーションなどの映画的手法で映され続けていく。しかしあくまでダイジェスト的な映像ばかりで、試合の流れもプレイの展開もなにも描かれていない。フィールドのどの位置にいるのかもよくわからない。試合で何が大事なのかもわからない。試合の展開に関するセリフも”ロミューを止めないと負ける”の一台詞だけ。唐突に得点シーンが映り、6-6ですとか場内アナウンスが入り試合の状況がわかる。その間、選手達の精神的な心の動きもほとんど描かれていません。
南アフリカは大会前に準決勝とまりという予想に反して決勝まで出てくるんだけど、なぜ勝利できたのかも触れられていない。ちょろって試合シーンがあって突然の決勝。選手もマットデイモン以外キャラクターを与えられている選手は黒人の選手一人だけ。デイモン&その他大男たちという扱い。コーチたちもいるだけの空気。ゆえ選手に感情移入するようにも作られていない。ラグビーというスポーツを、そして南アのチームを丁寧に描いていないのです。当時の南アフリカでは黒人はサッカーのほうをプレイし、白人がラグビーというすみわけだったようで、映画の中の黒人登場人物もラグビーの試合シーンで最後まで”どうなってんの?”って白人に聞いたりしていて映画の目線がラグビーを知らない人(当時の南アの黒人の人たち)という設定にもなっているのかもしれない。
あまりラグビーをしらない私ですが、綺麗なパス回しとか、相手守備を突進で振り切り、トライするという爽快なシーンも交えてもよかったのではと思いました。決勝では実際にはそのようなシーンはなくても、予選などではあったと思うのですけど。
でも上に書いたように、ラグビーがメインではなく、マンデラという一人の不屈の男を描いた映画なのでご了承ね。つってもわたしくラグビーしらんから、もしかしたら魅力的に表現されていたのかもしれんけど。でもつれはラグビーって凶暴なスポーツだなーってそれだけしかいってなかった。 そういえば劇中で黒人の子供も”ラグビーってばれなければ殴ってもいいんでしょ?”って言ってた。
自分もアメフトファンでアメフト映画を見て、試合シーンがちゃんと描かれていないと不満なんすよね。

映画を見て日本人ならではのこと。
・イーストウッド映画はシリアスな題材でもギャグのシーンが入っている。でも今回の試写会場で一番笑いがおこったのは、ギャグシーンではないところ。
マンデラ「オールブラックスってどんだけ強いんだ?」
スポーツ大臣「メチャ。日本戦では145点とって勝った」 場内笑い
マンデラ「145点!一試合で145点も?」場内笑い。
大臣「国際試合の記録です」場内笑い。
日本のとられた145点は日本ラグビー界の黒歴史として一般には知られている。


・ 知らなかったこと。ラグビーのワールドカップではホルストの組曲惑星の木星に歌詞がつけられ「World In Union」というタイトルでワールドカップテーマ曲になっている。映画のラストの授賞式で英語歌詞でこの曲が流れてきて、思わず”あぁ平原綾香のジュピ ター”って思ってしまった。今まで歌詞をつけたのは平原綾香(のスタッフ?)のアイデアなのかと思ったらすでにあったのねー。
なお調べたところちなみにもっとも有名なこのメロディーを使った曲といえばイギリスの聖歌として歌われるI Vow to Thee, My Country(祖国よ、我は汝に誓う)。ホルストが1916年に完成させた組曲惑星のなかの木星のメロディー。セシル・スプリング・ライスが1908年に書いた詩にホルスト自身が詩にあうよう編曲している。詩にあうよう二行分曲を長くしている。


セシルスプリングライス詩 I Vow to Thee, My Country

PJ Powers- World In Union Live 1995 Rugby World Cup Final

ラグビーワールドカップ版
チャーリー・スカーベック詩 
平原綾香版
吉元由詩
セシル・スプリング・ライス詩

There's a dream
I feel so rare, so real
All the world in union
The world as one
そこには夢がある
稀なことだけど、本当のこと
すべての世界が一つになる
世界は一つ

Gathering together
One mind, one heart
Every creed, every colour
Once joined, never apart
皆が一つになる
一つの魂、一つの心
すべての信仰も、すべての人種も
一つとなり、けして離れない

Searching for the best in me
I will find what I can be
If I win, lose or draw
There’s a winner in us all
自分の中のベストを探し
私は自分が何になれるかを探す
私が勝とうとも、負けようとも、分けようとも
私たちの中には勝者がいる

It's the world in union
The world as one
As we climb to reach our destiny
A new age has begun
一つとなった世界
世界は一つ
運命まで上り詰めたとき
新しい時代は始まっている

We face high mountains
Must cross rough seas
We must take our place in history
And live with dignity
そびえたつ山があろうとも
嵐の海に投げ出されても
私たちは歴史の中で居場所を見つけ
尊厳をもって生きなくてはいけない

Just to be the best I can
Sets the goal for everyman
If I win lose or draw
It’s victory for all.
なれる最高の自分になるために
全ての人のために目標を作ろう
私が勝とうとも負けようとも分けようとも
皆にとって勝利なんだ

It's the world in union
The world as one
As we climb to reach our destiny
A new age has begun
一つとなった世界
世界は一つ
運命まで上り詰めたとき
新しい時代は始まっている

It’s the world in union
The world as one
As we climb to reach our destiny
A new age has begun

It’s the world
The world in union
A new age has begun

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
深い胸の奥で つながってる
果てしない時を越えて 輝く星が
出会えた奇跡 教えてくれる

Every day I listen to my heart
ひとりじゃない
この宇宙の御胸に 抱かれて

私のこの両手で 何ができるの?
痛みに触れさせて そっと目を閉じて
夢を失うよりも 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと

愛を学ぶために 孤独があるなら
意味のないことなど 起こりはしない

心の静寂に 耳を澄まして

私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

今は自分を 抱きしめて
命のぬくもり 感じて

私たちは誰も ひとりじゃない
ありのままでずっと 愛されてる
望むように生きて 輝く未来を
いつまでも歌うわ あなたのために

I vow to thee, my country, all earthly things above,
Entire and whole and perfect, the service of my love;
The love that asks no question,
the love that stands the test,
That lays upon the altar the dearest and the best;
The love that never falters, the love that pays the price,
The love that makes undaunted the final sacrifice.

I heard my country calling, away across the sea,
Across the waste of waters she calls and calls to me.
Her sword is girded at her side, her helmet on her head,
And round her feet are lying the dying and the dead.
I hear the noise of battle, the thunder of her guns,
I haste to thee my mother, a son among thy sons.

And there's another country, I've heard of long ago,
Most dear to them that love her, most great to them that know;
We may not count her armies, we may not see her King;
Her fortress is a faithful heart, her pride is suffering;
And soul by soul and silently her shining bounds increase,
And her ways are ways of gentleness, and all her paths are peace.


・ この映画で日本人の方がエキストラで出演している。撮影後にネットでその人のブログを読んだのだけど、マンデラ粉するモーガンフリーマンのバックに配置され、すごい映っていると思うと書いていた。そのシーンはマンデラが訪日しているシーン。しかし作品では・・・・、ちっこいテレビがあってそこで流れている”マンデラが訪日しています”とニュースがそのテレビ画面から流れている。テレビ画面の中なのでマンデラがフリーマンかもわからないくらい小さい。その人がっかりしてないかな?


・12月12日 
アメリカ時間11日に全米公開のインビクタス。初日金曜の興行収入は見積もり速報値で2.9ミリオン。本作は週末三日間で10-15ミリオン程度と予想。Deadline,comのNikki Finkkeのリポートでは、ハリウッドは市場調査で本作はそれ以上の期待は出来ないとしている。本作はワーナースタジオ製作。別のスタジオの幹部クラスは
「他のイーストウッド映画のような熱さが市場から感じられない。」と話している。市場調査では本作は若い女性からはまったく関心をもたれておらず、年配の女性からはまぁまぁの興味。関心を持つ層はもともとイーストウッド映画を見に行っていた男性層のみとなっている。さらにアメリカでまったく関心がもたれていないラグビーもネックになるという。
初日に2.9ミリオンで週末三日では当初の予想の最低ランクの10ミリオンの成績が予想される。ただしイーストウッド映画ではMystic RiverやMillion Dollar Babyも限定から拡大公開の最初の三日は同程度の興行成績だったが最終的には100ミリオンクラスのヒットになっていた。製作・配給のワーナースタジオ重役は
「ぜんぜん失望はしていないよ。もっと入ってくれていればとは思うけど、小さい火から始まったのだと思う。一ヵ月後にはもっといい言葉が言えると思うし、ホリデーシーズンはこれから続くんだよ」と話しているという。 スタジオは2125館スタートと劇場数を少なめに設定しており、ロングヒットを狙っていた。

・12月14日 
インビクタスの公開最初の週末三日間の売り上げは9.085ミリオン(10億円くらい)と予想の最低レベルの10ミリオンも下回った。アメリカで評価がのびなかったチェンジリングとほぼ同じ。評価がのびたミスティックリバーとミリオンダラーベイビーも同程度のスタートからロングランビッグヒットになっている。今後の賞レースにどれだけからめるかが興行に大きな影響になりそう。

・12月17日 MSNのムービーニュースに以下の記事が配信された。
『許されざる者』『グラン・トリノ』のクリント・イーストウッド監督の最新作『インビクタス/負けざる者たち』の日本最速試写が11日に都内で開催され、会場で実施した映画に関するアンケート結果が発表された。

『インビクタス…』は、1995年のラグビーワールドカップの実話を基に、南アフリカ大統領に就任したばかりのネルソン・マンデラ大統領(モーガン・フ リーマン)と、フランソワ・ピナール(マット・デイモン)率いる南ア代表チームがどんな状況にも屈することなく、ひとつの願いに向かって挑む姿を描いた感 動のドラマ。

試写会は全米公開日と同日の11日に都内で開催され、会場には多くの映画ファンが集まった。上映後に実施されたアンケートでは「とても面白い」と「面白 い」を合わせた人数が回答数の90%を突破し、「スポーツを通してみんながつながるということを改めて実感した」「イーストウッドの作品は、観終わったあ と、苦い後味のものが多いけど、本作は良い味わいの作品」「実話とは信じられない。こんな感動が現実にあるとは、世の中捨てたもんじゃない」「イースト ウッドは本当に人の心に響く作品がうまい! 『ミリオンダラー・ベイビー』よりも素晴らしかった」などの声を集めた。本作はこれまでのイーストウッド作品 以上に女性の観客や若い年代の観客から強い支持を集めており、一般公開後には幅広い年齢層の動員が期待される。

また、本作は現地時間15日に発表された第67回ゴールデン・グローブ賞で、フリーマンが「ドラマ部門・主演男優賞」、デイモンが「共通部門・助演男優賞」、イーストウッド監督が「共通部門・監督賞」にノミネートされた。授賞式は現地時間来年1月17日(日)に行われる。

『インビクタス/負けざる者たち』
2010年2月5日(金)、丸の内ピカデリーほか全国ロードショー/

2010年

・1月27日
南アフリカ代表チーム。1995年のワールドカップ優勝メンバーRuben Kruger氏が2010年1月27日死去。ここ数年脳腫瘍と闘っていた。39歳だった。ラグビー引退後はカメラ販売業を行っており南アフリカのプレトリアではミノルタの代理店の会社を持っていた。ルーベンクルーガー氏は1995年、優勝の年には南アフリカラグビーユニオン選出の年間MVPを獲得している。1999年のワールドカップもプレイしている。その後ひざの怪我のため引退。
左の写真がなくなったクルーガー氏。選手キャリア晩年の写真で1995年当時はもっと若々しいイメージだった。右が映画でクルーガー氏を演じたロバートグランツ。映画の中でも台詞は少ないがごつい体格で目立っていた。


・2月3日
アカデミー賞ノミネートが発表。賞戦線ではほぼ脇役だった本作。
モーガンフリーマンの主演賞とマットデイモンの助演賞の二つのノミネーションで終わった。

・2月3日
本作は興行的にも芳しくない。制作費60ミリオン。アメリカ国内ではほぼ二ヶ月を経過しすでに上映館は公開後最大館数から10分の1の225館にへり売り上げは36ミリオン。アカデミーでも作品賞にもおち、今後ノミネート効果も見込まれず、事実上アメリカ興行戦線からは敗北撤退状態。ただしワールドワイドでは南アフリカ、フランス、スペイン、台湾など公開している地区が少なく、それでもワールドワイドの売り上げはすでに60ミリオン近くまで来ている。なお舞台となっている南アフリカでは7週連続売り上げベスト10入り続行中である。また1995年ワールドカップ準決勝で激突したフランスでは1月中旬から公開されているがアバターがいるため一位にはなれないが2週連続2位をキープ。売り上げも大きくここではかなりのヒットとなっている。香港やメキシコではいまいち。オーストラリアは一1月下旬公開で初登場週末2位、2週目週末3位。決勝での対戦相手ニュージーランドでは一月末の週末公開で最初の週末は4位。イギリスや日本は2月5日公開。


 

IMDBなどにでていたトリヴィア
マットデイモン演じるFrancois Pienaarの父親役に製作者側はとある有名なイギリス人俳優を使おうとしたがオーデションが2008-2009年三月まで行われ南アフリカの俳優がキャストされた。

ネルソンマンデラはモーガンフリーマンこそが自身を演じる唯一の役者と考えていた。二人は友人同士。

Francois Pienaar役を演じるためマットデイモンはChester Williamsの特訓を受けた。映画でもマットデイモンに続いてクローズアップされていた選手。1995年の南アチーム唯一の黒人選手で本作のために大きなサポートになった。劇中でWilliamsを演じた俳優もWilliamsの推薦による。

マットデイモンはFrancois Pienaarの家を訪れ協力を求めた。デイモンはそのあとイーストウッド監督に“彼はぼくよりはるかにでかいよ”と伝えたという。イーストウッドは“君は他の心配をしていいけどそれは僕が心配するから”と答えたという。イーストウッドはカメラのアングルで180センチ(キネマ旬報のマットデイモンのインタビューだと、178センチ)しかないデイモンを立派にラグビー選手として映しきった。

モーガンフリーマンとプロデューサーLori McCrearyはマンデラの映画を何年も前から準備。最初はLong Walk to Freedomという自伝を映画化しようとしてた。しかしあまりにも長い期間を描いていたため映画化は不可能と判断した。

キネマ旬報のモーガンフリーマンによると、フリーマンは自身が住んでいるミシシッピー州で偶然、インビクタスの原作の作者ジョンカーリンに会い話すことになったという。その際、カーリンはマンデラのラグビーにまつわる話を書く予定とフリーマンに話したという。偶然にもマンデラ映画の実現を目指していたフリーマンはアンソニーペックマンに同じアイデアでの脚本を依頼していたという。フリーマンによると、そのエピソードゆえ、この映画の実現化は必然であったと思っている。

本作の脚本(脚色)はAnthony Peckman。南ア出身。

ニュージーランドのラグビーチームを演じた俳優達は有名なマオリ族のダンス(ウォークライ)を学んだ。製作チームはニュージーランドのラグビー協会に協力を求め協会はMaxwellという専門家を派遣してくれた。撮影当日、たしかな動きをしているか監修してくれた。ただし踊りは問題なしでもひとつ実際とは違うことが。通常マオリ系のプレイヤーが先頭で踊るが映画では明らかな白人が先頭に。

マンデラが南アチームをヘリコプターで訪問した場所での撮影地でのこと。撮影スタッフが現場入りするとものすごい数のヒヒが待っていたという。イーストウッドは
「われわれは彼らが出て行くのを待つしかなかった。出て行ったあとに撮影を開始したが彼らは木の間から見ていたよ。まるで“なんだこん馬鹿みたいな連中は?”っていう感じで」と話している。

マンデラの家のシーン。外のシーンはJohannesburgにある実際のマンデラの家で。室内のシーンはCape Townにある彼の家で撮影。

マンデラとPienaarが最初に会う大統領のオフィス。ユニオンビルのPretoriaシティの政府オフィスで映画で初めて使用された。

すべてのラグビーシーンはまとめてJohannesburg's Ellis Park Stadiumで撮影された。実際の決勝戦が行われた場所。

ラストの決勝戦の撮影のため美術スタッフは当時の外観に戻すためおおくのリサーチを行い看板、広告を再現。ポストプロダクションでCGも使い映画は完成された。なお決勝戦の観客として集められたのはわずか2000人程度。CGで62000人にしている。しかも1000人分の人間をCGでモデリング。体格と洋服を変えて6万人にしたという。

マンデラのアシスタントは美術スタッフの仕事振りを賞賛。
「わたしは家もしっているけど完璧に再現している。雰囲気も。おまけにモーガンフリーマンが最初に話したときも誰だわからなかった世。“え、マンデラがどうしてここに?”って思った」と話している。

イーストウッド監督の息子カイルは本作でもスコアを書いている。ジャズベーシストとして著名なカイルはイーストウッドが映画制作を行っている間に南アで行われたジャズフェスティバルに出演。監督は息子を南アの音楽のリサーチを行わせた。現地で地元ミュージシャンのスカウティングを行った。なお別妻の息子も決勝戦で唯一得点を入れた選手役で出演。

マンデラの好きなバンド、Soweto String Quartetは映画のために協力。

イーストウッドは南アで撮影中に毎夜ラグビーを見ていた。翌日は試合の話題をするのが日課となっていた。

映画ラスト、デイモンはマンデラが30年間独房で過ごしたと話している。実際には27年。1年と半年を裁判のため別の施設に。判決後にRobben Islandの独房にいたのは17年と半年。Pollsmoor Prisonで6年。最後の2年間はVictor Verster Prison。

ボーイング747がEllis Park Stadiumすれすれに飛んでいくシーン。Vodacamの広告が見られるが当時実際にはコカコーラの看板だった。またEllis Park Stadiumは2008年からスポンサーの名前をとりCoca-Cola-Parkという名前になっている。Coca-Cola-Parkの看板が映ってしまっている。またこのジェット機の飛来は予定されていたもので警護の人間にも知らされていた。何ヶ月も前から入念に打ち合わせされたもの。またアメリカンフットボールでは大一番には戦闘機のフライングオーバーも定番だが、この大会でも戦闘機が上空を通過した。
映画では一度、またyoutubeにアップされている映像では一度しかスタジアムを通過していないが原作やネットに出ている文献では二度スタジアムを通過。予算は4万USドルかかったという。なおGood Luck Bokkaの文字は映画版のほうが大きな字で書かれている。 実際にはシンプルにGo Bokkeと書かれていた。

さらに飛行機がエリスパークススタジアムを通過するシーンに関して。
12月に試写会で見たときは気づかなかったけど二回目の劇場で見て気づいたこと。
エリスパークスに接近する飛行機のコクピットの中。
副機長「ファイナルアプローチです機長」
機長「記録には私が操縦していたと書いておいてくれ。」
副機長「もう書いてありますよ」
機長「ここからは私の責任だな」 と話している。
たしか日本語字幕では機長は「私の個人判断だ」とかなんとか出てて、一回目に見たときは機長さん狂ったか!と思ったけど、気にして二度目に見てみたら英語のセリフではクルーはジャンボによるショーと承知の合点でフライトをしているセリフだった。
字幕作った人にはめられたでゴンス。
なお映画の原作本のドキュメント本で実際のパイロットだったケイさんは
「もうすぐスタジアムというところで二人(副操縦士、航空機関士)に言いました。“これからはすべて僕の責任だ”と。こういう重要な日に音が聞こえないく らい遠くでは意味がない。飛行機の下に書いてある文字が観客にはっきり見えるよう機首を下げて降下。速度は失速ぎりぎりの140ノット。スタジアムから上 昇するときに最大に力をだせるようゆっくり入ったんです。目標地点に達するとエンジンの回転数をあげて音量と推進を最大にしました。出来る限りのエネル ギーをスタジアムに向けたかったので」と話している。


Natal Rugby Unionとの試合で敗れるロッカールームで荒れる選手達。Kings Park Stadiumの文字が見えるが1994年に南アチームはこのスタジアムで試合はしていない。

マンデラの秘書の女性Zelda La Grangeは映画では黒人だったが実際には白人

Siphoを覚えている?
黒人の子供Siphoは三回出てくる。まず映画の最初のほう、スプリングボクスのジャージを差し出されるが拒否して逃げる。
次にスプリングボクスが黒人の貧民地区でラグビーシーンを教える時の子供たちの中にいる。
最後に決勝戦でスタジアム外でお金のために缶を拾っているがだんだんラジオから聞こえてくる試合に夢中になりタクシー運転手と一緒に中継を聞いている。(脚本では同一人物になっていました。実際に同じ子だったかはちょっと記憶ないです・・・)。

オールブラックスの選手は決勝前にレストランで食事。何人かの選手がお腹を壊した。モハメドアリ-ジョージフォアマン戦と同じように薬物投与疑惑がある。

イーストウッドのインタビューによると、撮影の移動中、偶然黒人たちがラグビーをしていた。車を止め機材を取り出し撮影したという。おそらく、映画の最後のエンドクレジットのバックの映像と思われる。

映画の最後、インタビュアーはピナールに6万3千人の南アフリカンが・・・と聞いていたが、実際のインタビュアーは6万5千人の南アフリカンが・・・と聞いていた。


映画のラスト、授賞式の場面でスタジアムのスクリーンには大会の公式テーマ、World in Union を歌うPJ Powersの映像が流されている。実際の大会ではオープニングで歌われた。試合後にも音楽は流れていたがライブではなくテープだった。
また映画のサウンドトラックにはエンドタイトルで使われているOvertone with Yollandi Nortji版が収録されている。サウンドトラックにはOvertoneの多くの曲が収録されている。Overtonは南アフリカのアカペラグループ。
以下のアドレスから映画の曲ではないが、四曲試聴出来る。
http://www.5sm.co.za/bands_overtone.htm

1995年ラグビーW杯決勝 南アフリカ vs. ニュージーランド presented by 「インビクタス/負けざる者たち」
南アフリカ-South Africa-VS.オールブラックス -New Zealand-
解説:小林深緑郎/村上晃一 実況:矢野武
開催地:エリスパーク
開催日:1995年6月24日
スカパー放送予定 番組表で確認してください。
J Sports1      2月2日 21:30-24:00
J Sports2     2月3日 17:30-20:00
J Sports ESPN  2月4日 19:00-21:30
J Sports1     2月15日 19:00-21:30
J sports ESPNは月単位で一ヶ月980円の視聴料、残りは1、2、Plusの三つのチャンネルで一ヶ月2100円。

本作の映画の音楽担当はクリントイーストウッドの息子のカイルとマイケルスティーブンスとおなじみの二人。ただし親父イーストウッドも”9000 Days"をスティーブンスと共作。歌詞はイーストウッドの現在の妻Dina Eastwood(父親が日本人と黒人のハーフゆえ四分の一日本人の血が流れている)。
この曲を歌っているのがOvertone。ほかにも映画の中で多くの曲を歌っている南アフリカのアカペラグループOvertoneに目をつけたのがDina。南アフロカのホテルで夫が撮影中に、テレビを見ていて発見、推薦したという。
歌詞はこの映画のタイトルにもなっているアーネストヘンリーの詩インビクタスからも引用されている。
訳は適当なので間違っててもゆるしてくんしゃい。

9,000 Days歌詞 by Dina Eastwood アーネストヘンリーの詩インビクタス

Out of the night
that covers me

I'm Unafraid
I Believe
Beyond this place of Wrath and Tears
Beyond Hours that turn to years

I thank whatever
Whatever Gods may be

9000 days were set aside
9000 days of destiny
9000 days to thank Gods where ever they may be

It matters not the circumstance
to rise above
I took a chance
I thank whatever
Whatever Gods may be
9000 days were set aside
9000 days of destiny
9000 days to thank Gods where ever they may be

Oh Broken heart that turn to stone
Can break the land but mine is sore

9000 days were set aside
9000 days of destiny
9000 days to thank Gods where ever they may be

I thank whatever
Whatever Gods may be

私を覆う夜の闇
私に恐れはない
私は信じている
怒りと涙を超えて
これから何年にもなる何時間を超えて
神がどんな姿であれ感謝する
9000日という与えられた日々
9000日という運命
9000日という神がどんな姿であれ感謝する日々
目の前にある困難は問題ではない
私はチャンスを得た
神がどんな姿であれ感謝するためのチャンスを
9000日という与えられた日々
9000日という運命
9000日という神がどんな姿であれ感謝する日々
石のように壊れた心は島をも壊すが
私の心は痛んでいる
9000日という与えられた日々
9000日という運命
9000日という神がどんな姿であれ感謝する日々



Out of the night
that covers me,

Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds, and shall find, me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.

私を覆う夜の闇
鉄格子の間にある闇は果物の種のように暗黒色
私の魂がけして征服されることがないことに神がどんな姿であれ感謝する
こんな状況にあっても私は泣き叫ぶこともなかった
運命に叩き付けられても、頭に血が流れようとも私はけして屈しない
怒りと涙を超えて
見えるものは亡霊の影
これから来る何年にもわたる恐怖も
私がけして屈しないことを知るだろう
その門がいかにしまいとしても
私がその罰にやすやすと受け入れる必要などなぜあるのだ
私こそが私の運命のあるじ
私こそが私の魂の先導者なのだ

クリントイーストウッド監督がカメオ出演しているらしい。最後の決勝戦で、南アフリカを応援している観客の中にまぎれていて、黒いサングラスにTシャツで長い手を振り上げているらしい。

Joel Stranskyの決勝ドロップゴール。New York Jewish Weekではアメリカンフットボールでいえば35yのドロップキック(ボールを一度地面につければラグビー同様、3点になる)に相当するとしている。なおNFLのFG最長記録は63y。ラグビーのドロックゴールの最長を調べてみたら、Rugby Football Unionの公式サイトによると南アフリカのGerry Brandoという選手が1932年に"最長のドロップゴールの一つである85yを決めてた"としている。

Stranskyはユダヤ系。お父さんがユダヤ人だった。
5-10の身長は決勝戦に出場した両チームで試合に出場した中ではもっとも小さい。
試合後会見でKlitch ChristieはStanskyを”俺たちのユダヤボーイ(Our Jew Boy)”とStranskyをたたえ試合のMVPと話していた。 しOur Jew Boyとは差別的な言い方にも聞こえるがStranskyは当時を振り返り”あれは愛情の入った言い方だった”と話している。試合後Stranskyは多くのユダヤ系コニニュティから歓迎を受けたという。南アフリカJewish Reportの編集長Geoff Sifrinは
「ユダヤ系の人たちにとって、Stranskyという明らかにユダヤ系の名前のもつ選手がワールドカップで活躍するのを見るのは信じられないほどの喜びだった。特にマンデラの影響が強くあったあのような試合ではね」と話している。
白人と黒人の融合を描かれた映画インビクタスだが、映画では描かれていない側面も多かったのだ。
南アフリカ代表チーム在籍は1993-1996、1999年にひざの怪我で引退。現在はマーケティングの仕事をして、ラグビーもシニアクラブで楽しんでいる。ただしオフィスにはワールドカップを思い出すようなものは何もおかれていないという。2010年にはチャリティのためウルトラマウンテンバイクレースに出場する。
Stranskyは2009年初頭、ユダヤ系スポーツの殿堂に選ばれている。南アフリカ代表チームスプリングボクスのユダヤ系で有名な選手は1980年代に活躍したSyd Nomisがいる。

http://www.stuff.co.nzに掲載されてい記事。
1995年の南アフリカ代表チェスターウィリアムスもラグビーシーン撮影での監修において重要だったがニュージーランド人Julian Brisowのポストプロダクションでの仕事振りも見事だった。現在は国を離れカリフォルニアに住んでおりロスのラグビーのクラブチームの代表(同好会レベル)Briscow氏は36歳だが不況の中2008年の春は無職状態。イーストウッドがラグビー映画を製作しているのをききつけ
「”ギャラなしでやるよ”って言ったんだ。ラグビーは世界で最高のスポーツだからね」とBriscow。撮影隊が南アフリカの撮影を終えると、ワーナースタジオへ。ここでBricsowの出番となった。入れる音、コメント、観客のノイズの入れ方なども歴史的イベントを正確にすべくBristowにゆだねられた。イーストウッドはラグビーに関して真剣にBriscoと話をしたという。
本人はギャラなしでやると売り込みをかけたものだが、とっても大きなギャラをもらった。
何度かプレミア上映に参加。彼のラグビー仲間はエンドクレジットで彼の名前のところでスタンディングオベーションを送った。
Bristowはしかし唯一後悔がある。愛するニュージーランドチームが決勝で南アフリカを倒すエンディングに変えられなかったことだ(冗談だよ)。

ニュージーランド代表オールブラックス選手役で日本の三洋電機でプレイ経験がある元トンガの代表選手Epi Taione(エピ・タイオネ)、同じくトンガのSililo Martens(シリロ マーテンス.)が出ている。

エピはロムー役のZak Feaunati(ザック・フュナティ)が怪我で撮影出来ない状態になり代役でロムーのプレイも演じていると
http://www.skyhighsports.bizに書いてあった。

スプリングボクスのHannes Strydom役を演じたラグビー選手Thomas Boyd。オープントーナメント大会であるCape Town Tens Beear League2010に出場する。 南アフリカのスプリングボクスの選手役だったが、撮影中、ハリウッドボクスというチーム名で自身たちを呼んでいたという。Boydは
「撮影中スプリングボクス役の皆とはすごい仲がよくなった。10週間も一緒にやっていれば絆も出来る。カメラの前で自由にプレイの時は激しかったよ。一日8時間の撮影の時もあったりとても大変だった。朝2時の寒い中フランス戦を撮影したんだよ。でも一生で一度の経験だったし皆ホントウのチームのように感じていたよ。撮影中に僕たちチームのTシャツを作るアイデアを思いついたんだ。そこでハリウッドボクスが誕生したわけだよ。インビクタスのプレミアで再会したときはとても皆喜んだよ。それでケープタウンのTens Leagueにこのメンバーで出場しようということになったんだホントウにいい選手もいるよ。選手役の多くはケープタウンのスーパーリーグの現役選手だからね。Cape Town Tensトーナメントでデビューするのは素晴らしいことだよ。 今後も他のトーナメントにも出て行きたい。ウェブサイトもあるよ。http://www.thehollywoodboks.com/でもうすぐ立ち上げ(2010年2月27日現在まだない。インタビューは1月19日のもの)るよ。マットデイモンとも今でも連絡をとっているんだよ。機会があったら彼をハリウッドボクスの社長にでもなってもらいないなぁ。」と話している。下の写真はBoydとデイモン。


オールブラックスの選手役で映画でプレイした南アフリカローカルラグビー選手Anton Coosnerはマットデイモンと撮影の合間にレスリングごっこをして楽しんでいた。
「彼はとても普通の人だったよ。彼は激しいプレイのシーンでも自分でやるもんだからスカウトコーディネーターは危険な場所から彼を引っ張り出さなくてはいけなかったよ」と想い出を。
「脳震盪を起こすものもいたし、ひざを痛めたりね。スコット(イーストウッド)は肩を痛めたよ。監督の息子ってこともあって俺たちのターゲットになってたよ。スプリンブボクス役とオールブラックス役の間には本当にライバルの関係が出来ていた。チェスター(ウィリアムス。1995年の南ア優勝チームの選手でこの映画のラグビーシーンの監修)はわれわれをまとめるのに大変だったよ。でもクリントイーストウッドは僕たちの情熱の荒々しさが大好きで、奨励してたよ」と話している。デイモンをかつぐCoonsner。

インビクタスの詩を書いたのはWilliam Earnest Henley。アーネストヘンリー。あのエンデュアランス号の船長のシャクルトンもアーネストヘンリーシャクルトンという名前。シャクルトンの冒険物語も見るものの心を震わすものすごい話だったけど、アーネストヘンリーという名前の人物は皆がInvicuts(不屈)の心をもっているのだろうか。
ちなみに二人の不屈ぶりは
☆ウィリアムアーネストヘンリー(Invicutsの詩を書いた人)
12歳の時に関節結核で左足のひざより下を切断。そのごジャーナリストを目指すもなんと間接結核が残る右足を襲う。3年間入院をして退院。Invictusという詩はこの入院生活の中書かれたもの。53才で死去
友達のスティーブンスは「宝島」の中にヘンリーをモデルにした海賊シルバーのを登場させる。
☆アーネストヘンリーシャクルトン エンデュアランス号の船長
1914年南極横断にチャレンジ。船が氷にかこまれて身動きとれず、船員と10ヶ月氷にかこまれて生活。エンデュアランス号は凍りに押しつぶされる。その後徒歩で氷の上を歩きエンデュアランス号の板の切れ端でボートを二隻つくり500キロ先のエレファント島に着く。二隻のボートを作り直し一隻のボートに作り変え、二人の仲間と計三人で1300キロ先のサウスジョージア島を目指す。エレファント島に残る20数人の仲間に必ず救援隊を率いて戻ってくると言い残して。そしてめでたく三人はサウスジョージア島へつくが、港は風と波の向きで人のいる村のある港へ上陸できず、港の反対側の雪山から上陸。今度は雪山をえっちらほっちら三人で越える。ついに港にもどったシャクルトンは、こなくていいというのに仲間を助けると救助船で出発。しかし嵐で仲間の島にたどりつず、港へ退散。嵐がやむと再び仲間の待つエレファント島へ出発。なんと1年8ヶ月前にエンデュアランス号に乗り込んだ船員は全員無事で船長シャクルトンの救援を待ち続けていた!!
すげーぞ二人のアーネストヘンリー。

インビクタスはラテン語で英語のインヴィンシブル(Invincible、vをビで表記しればインビンシブル)。不屈という意味だが、インヴィンシブルというタイトルのアメフト映画も存在する。こちらはNFLを夢見る30歳のおっさんがテストを受けEaglesに入団、スペシャルチームプレイヤーとして人気選手になるという実話を描いたものだった。主演はマークウォールバークで興行成績全米週間一位のヒットとなった。日本では公開されずDVDスルーだった。

撮影監督のトムスターンはイーストウッド監督とは長らく組んでいる。16本イーストウッド映画でギャファー(照明技師、アメリカの撮影監督は日本の撮影とクレジットされる人と役割が違う。カメラをふるのではなく、撮影技術のボスで照明、カメラすべての監督を行う)を務め2002年のブラッドワークから今回のインビクタスまで8本のイーストウッド映画の撮影監督を務めている。スターンは撮影一ヶ月前に南アフリカ入り。スターンが南アに入ったときには、プロデューサーの一人ティムムーアやロケーションマネージャーがロケハンを行い撮影場所を決めていた。そして美術デザイナージムムラカミと話し合いを続け撮影に備えた。
イーストウッド映画の撮影は通常35ミリのAnamorphicフォーマットがメインとなる。ロスにあるパナヴィジョンから南アフリカにパナヴィジョンPlatinum XL、小さいボディのアリフレックス 235そしてレンズ一式が搬送された。他Panaflex XLも使用された。撮影フィルムはKODAK VISION3 500T 5219。
ラグビーシーンの撮影の前にドラマ部の撮影を行った。通常一つのカメラで撮影を行うイーストウッド組だったが今回は時に二つのカメラを使った。スターンは
「話している役者と、聴いている役者を同時に撮影する。適切な照明があれば出来るし一つのカメラでの撮影よりも説得力のあるイメージを撮影できる。」と話している。
ラグビーシーンの撮影は二週間だった。プレイのプランを立ててからの撮影であったが、イーストウッドは選手にはアドリブで思ったとおりに動いてよいと指示。撮影監督のトムスターン自らが35ミリカメラを担当、カメラマンはステディカムをもち選手を追う。
撮影されたネガフィルムは毎日南アフリカからロンドンに送られアメリカの現像ラボへ。そしてデジタルデータ化され南アフリカに戻され、撮影スタッフがラッシュを行うという流れだった。

インビクタスではおよそ600におよぶCGカットがある。VFX(ビジュアルエフェクト)担当は父親たちの星条旗の戦闘シーン、チェンジリングでは1920年代のロスをCGで作り上げたマイケル・オーエンズ。
「この映画ではCGはほとんどないんだよねって言っている人の話を聴いたよ。VFXショーみたいな映画も楽しいけど、ドラマでVFXによって質が上がる作品は本当に楽しいよ」とオーエンズ。オーエンズはチェンジリングで一緒に仕事をし、トワイライト、ナイトミュージアムなどを担当しているジェフリーハンコックと共にインビクタスの特殊効果を作った。
ラグビーシーンの撮影は複数日に渡って行われたがオーエンズによると、観客として集まったエキストラは初日に4000人あつまり次の日の撮影が3000人、3日目の撮影が500人だったという。6週間で6万人の大観衆シーンにしなければいけなかった。
たんに集まったエキストラをコピー&ペーストするという簡単な作業ではない。人間をCGで制作した。
使われたCGソフトは、MAYA、Houdini、ZBrush、Mocha、Nuke、Shakeなど。
人間の動きをモーションキャプチャーしモデリングした。作業はCIS VoncouverでCIS Hollywoodの協力を受け行われた。立っている人、歓声を上げている人など1000人もの違った動きをしたCG人間を作った。それに体のサイズを換えたり着ている服を変えればその1000人が何万人の違う人に見える。
マンデラが国連でスピーチを行うシーンがある。これは実際に撮影されたのは壇と壇上にいるマンデラ役のモーガンフリーマンだけだ。
ラグビーシーンだけで200ものカットにCGが入っている。選手から滴り落ちる血、傷などデジタルメイクアップも行われた。オーエンズは
「クリントがそれが好きで血を流せ流せって言うんだよ。」と話している。イーストウッドはデジタルメイクアップを何度も使っている。硫黄島映画では兵隊を傷だらけにして、グラントリノでは涙を作った。オーエンズは
「でもクリントはいつもデジタルメイクアップの処理に時間がかかることを不満がっていたよ。現場でのメイクなどの準備の時間を節約できると思ってやっているんだろうね。」と話している。もちろん現場のメイクアップも仕事をしている。CGでは現場のメイクを参考にそこにエキストラメイクを加えている。しかし今回のラグビーシーンのような場合デジタルメイクアップの力が大きい。試合が進むにつれ血や傷が増える。編集をするのに、そして撮影するさいに、あとから傷を足すことが出来ればクローズアップでどの場面でとったシーンでも流用できるし、最初からどこでも使えるようまとめてアップを撮影しておけば、あとで、試合前半なら綺麗なメイクのまま、後半なら汗を足し傷を足せばいいだけ。大きな人員と費用を使う現場を少ない時間とお金で終わらせることが出来る。
そしてスタジアムの様子も変えなければいけない。撮影は実際の決勝戦が行われたスタジアムがメインでほかにケープタウンのスタジアムでも少し行われた。それをCGでさまざまなスタジアムで試合をしているよう、作り変えなければいけなかった。
芝以外の要素はほとんど入れ替えられた。
オーエンズはイーストウッド監督の次回作Hereafterでも仕事をすることが決まっている。
VFX班はアカデミー賞ではノミネートされていないがVisual Effects Societyによる第八回VESアワードで最優秀”支援” Visual Effectsの候補にノミネートされている。正式な名称はOutstanding ”Supporting” VE。アバターなど誰がみてもCGとわかる映画ははOutstanding VE賞にノミネートされている。

パラパラさせると違いが面白い

後ろのスコアボードが違う

VFX後のおでこに傷が出来ている

白髪のおじさん消されました

看板も取り替えられました
地味ながら左のデイモンの手の甲にアザが足されてます


パラパラさせないでじっくり見てみると・・・

 

 

2007年バージョンの脚本


何も書いていない表紙の中央はトリミングで切っちゃいました。
表紙の上と下をくっつけた写真です


映画Invictusの2007年5月22日、第二版と書かれている脚本。
原作本の発売は2008年夏。日本の報道では2007年6月にこれから刊行予定の本から映画化と書かれていた。すでに作者は執筆を終えていたのだろうか。
この第二項から映画完成版の違いは少ない。
細かい描写で、脚本のト書きに書かれていたイメージを映画のシーンから読み取れないシーンが少しあったり、小さなシーンをカット、少し台詞が変わっている、程度。おおきなシーンの変更はない。細かいところは面倒なので少しだけ第二版の脚本と完成された映画との違いを下に紹介。

  • 娘さんが週末家に来ることができないことを伝えられたマンデラ。映画では伝えられた後すぐシーンが変わったが脚本では、伝えられた後、笑顔が消え、一人ベッドルームに入り、一人眠る。世界で一番知られた男の一日は毎日孤独で終わる・・とト書きに書かれている。
  • マンデラが国連→ホワイトハウス→日本と海外を回るシーンがあるが、脚本では日本のパートがイギリスになっていた。エリザベス女王と会うシーンになっていた。
    後のシーンでピナールがマンデラと会う前に将来の奥さん(映画とは違い実際は同時まだ婚約者だった)と会話する場面。脚本では“彼はエリザベス女王にもあった人物”と話す台詞があったが違う台詞になっていた。ただし直後、大統領の警護の白人は“大統領はイギリスから戻ったばかり”と話している。
  • ピナールがマンデラとの面会で待っているとき、マンデラのオフィスから黒人さんが出てくるが脚本では日本の四人のtrading officialが出てくることになっていた。
    また二人は面談の後記者から写真を取られているシーンが脚本にはある。脚本のト書きには”注意:写真撮影ではフラッシュは使われなかった” と書いてある。その写真は次のシーン、マンデラの家でマンデラの娘ジンジーが読んでいる新聞に掲載されている。
  • スプリンブボクスが黒人の貧しい地域へバスで向かうシーンの前に、アメリカ合衆国のオクラホマシティ連邦ビル爆破のニュースを見るマンデラおよび警護員のシーンが脚本にはあった。マンデラはクリントン大統領への連絡を秘書に伝え警備員には“なぜ許しが必要かわかるか。それは復讐は復讐しか生まないからだ”と話す。オフィスを出るマンデラは悲しみであふれている。とト書きにある。
    なおオクラハマシティの事件の犯人ティモシーマクベイは死刑判決ですでに執行されている。遺書に、WE Henryの詩Invictusを引用している。なお映画原作本にはオクラハマシティのテロ行為に関する記述はなかった。脚本家の創作か違う文献や取材から得た事実なのか不明。
  • スプリンボボクスが黒人の貧しい地区で子供にラグビーを教えるシーン。脚本では選手が来る前にボクスのスタッフたちが選手より15分早くグランドについている。荒れているグランドにはビール瓶のわれたガラスがあちこちに落ちている。スタッフは子供たちに“たくさんガラス拾った子には賞金あげるよ!”といってガラス拾いをする子供。スタッフは二つの棒を立ててゴールを作っている。子供の中には映画前半でスプリングボクスのジャージをもらうのを拒否した子供もいる(なお映画の中では選手のバスが到着したとき、スタッフが立てたボールの裏あたりに手に持っているものを捨てている子供が映っている。ゆえガラスを拾うというシーンは撮影されてカットされたのかもしれない)。
  • ワールドカップ開幕前。マンデラの警備員達が警備プランの確認しているシーン。黒人の警備員が“オクラハマシティのようなことはなしだ”と話している。
  • 開幕試合前夜、コーチたちが集まるシーンがある。コーチたちの役割はもうできることはない、試合プランもできている。後は選手がプランを実行できるかにかかっている。そしてそれはピナールの仕事になる、と話している。コーチだけが集まり会話するシーンはのちにも出てくるが映画ではない。
  • ワールドカップの南アフリカチームの第一試合目のラグビーシーン。脚本のト書きに“このシーンはラグビーを知らない人に説明するようにすること。たとえば前にパスを投げるとスクラム、サイドを割るとラインアウトになるというように”と書いてある。脚本では点を取るたびに、白人警備員が黒人警備員に“今点がはいって、三点リードで、同点で、一点勝ち越しで”と非常に説明を優先した台詞が続いている。映画では白人警備員の“勝った”黒人警備員の“ほんと?”だけ。
  • ピナールら選手がが勝利を祝いバーで飲んでいるシーン。映画では次の日の予定をピナールが伝えるだけだが脚本では、テレビでマンデラが“われわれが来た道のりはどれだけ遠かったか”と勝利を喜んでいる。ピナールは“おっこれは!”とマンデラのいた刑務所訪問を思い立つ。映画では次のシーンで選手がランニングで船着場で到着したときに他の選手が何かあると気付く。脚本では、地図を見ながらランニングする先導ピナールとなっている。待ちの角にくるたびに地図を見て選手を”こっちだ、次はこっちだ”と選手を先導している。
  • マンデラの入っていた独房を見学するチームの選手。映画ではなぜかピナールだけが房に入っているが、脚本では房からいつまでたってもでてこないピナールを他の選手達が待っている。
  • フランスとの対決はもっと多く映画の中で描かれていてもいいのではと多くの人が思うだろう。映画の中ではフランス戦はほんの少し。しかし脚本ではフランスの幻のトライも描かれていた。以下のように脚本では書かれていた。
    「フランスチームがスプリングボクスのラインに迫る。波のようにおしよせる。スプリングボクスも押し返そうとするが段々押されてくる。ついにフランスがスコアをあげるのか?
    クローズアップ ボールが泥男たちの山の下。わずか3インチ、ゴールラインに届いていない。レフリーはトライを認めない。」
    と書かれている。映画ではえらい淡白に素通りしていた。
  • 脚本では決勝戦の前日から試合当日までチームの選手、コーチたち、マンデラ、警備員達とフラッシュバックで各々の明日に向かう様子がかなり多く書かれていた。映画では半分くらいにカット。

 

 

ジョンカーリンの映画の原作本
映画で描いているのは本の1/3程度。
原作より映画の補完となる情報を以下に。

  1. 映画でしばしマンデラの朝の散歩のシーンが出ている。マンデラの起床時間は4時30分。27年間の監獄生活で身についた習慣で、大統領になってもその習慣は変わらなかった。
    海外に滞在していても時差ぼけがあっても常に4時30分起床。
  2. マンデラは1940年代から50年代はアマチュアボクサー。弁護士をしながら、南アフリカの革命を支持。当時も夜明け前に一時間走っていた。18年間の独房での生活は動くスペースがなくともその場で駆け足をしていた。
  3. そんなマンデラであるがワールドカップ決勝の朝の散歩はなしで、警備の人間にも休んでもらうことが必要といつもより1時間遅く来てくれればいいと伝えたという。
  4. 映画でラグビー選手達が訪問した、マンデラが18年間過ごしたロベン島の刑務所の独房。2.5×2メートルほど。マンデラの足で奥行き三歩、幅は二歩半。擦り切れた毛布が三枚。ケープ州南部は冷たい風が吹き荒れるという。政治犯であり黒人のマンデラはその寒い中、半ズボンしか与えられなかった。食事はとうもろこしの粥に少し肉が入っている程度。やらされる仕事は採石場でつるはしを下ろすか、日本で肥料にされる輸出用の海藻拾い。ロベン島のこの施設はかつてハンセン氏病と精神病のための施設だった。
  5. 南アフリカの白人、特にオランダ系の白人をアフリカーナーと呼び南アフリカの白人の中心。白人人口のおよそ65%を占める。残りのおよそ35%が英語を使うイギリス系。
    政治を動かしていたのはオランダ系のアフリカーナーでブール人と呼ばれている。
  6. 南アフリカのラグビーチームスプリンブボクスは南アフリカの白人の絶対的な象徴。チームは国歌「ディスリム」(南アフリカの原住民(黒人)を駆逐した先祖を称えた歌でもある。)を歌い、チームカラーの緑はアパルト政策を後押しするように、国旗や機動隊と同じ色。
  7. マットデイモン扮するフランソワピナールもオランダ系。しかし白人の中では貧しい家庭で育った。自動車はおんぼろでクリスマスのプレゼントも質素だったという。しかしそれでも家は広く、黒人のメイドも二人いた。また白人の中にも差別があったという。同じ白人でも英語を話すイギリス人はラグビーをやってもオランダ人の上をいくことは出来なかった。またピナールも英語を話すイギリス系の学校とのラグビーの試合で一回も負けなかったことを誇りとしていた。ただしピナールが差別主義者だったのではなく、当時の南アフリカはそのように教育されていくため誰も差別に気がつかないのだ。
    1981年、すでに世界から南アフリカの差別社会の恥の象徴となりつつあったスプリングボクスのニュージーランド遠征。行く先々でスプリングボクスにデモ隊が囲み、試合会場でも抗議の小麦粉爆弾がチームに投げられる。ピナールの家族は自分の応援する自国スプリングボクスの選手がなぜこんな扱いを受けるかわけがわからなかったという。
  8. ラグビーチームを政治に利用したのはマンデラが最初ではない。黒人のアーノルドストフィーレはスポーツを”国民にアパルトヘイトへの拒否反応を緩和する役目”とし、南アフリカの白人国民を政治に向かせないようにする政府によるアヘン投与と考えていた。ストフィーレは1985年元オールブラックス(ニュージーランド代表チームの愛称)の選手の口利きでニュージーランドに入国する。ここでスプリンブボクスとニュージーランドの試合の反対運動を行うために。ニュージーランド国内でのアパルト政策を行う南アフリカへの非難はストフィーレの入国により飛躍的に高まる。それまで南アフリカチームのニュージーランド遠征反対は45%だったがそれが三週間後には75%、さらにオールブラックスの選手までが試合を行うことがおかしいと裁判を起こすなど、反南アフリカの道はスポーツの世界で急速に広まっていった。結局ニュージーランドの裁判所は南アフリカのスプリングボクスの入国を拒否する判決を下した。ストフィーレは南アフリカに帰ると南アフリカ政府に逮捕された。ピナール一家にとって自分たちが教育されてきたことがさらにわからなくなっていた出来事である。
  9. 映画の中ではほとんど存在感がないスプリングボクスの監督モーネデュプレシス。デュプレシスの現役時代は大選手そのものだった。1980年に引退したがその年は22試合で18試合に勝利するスプリングボクスの中心選手。デュプレシスが他の選手と違うことは、ほとんど政治に興味がなく黒人差別のことを意識しない仲間と違い、何かがおかしいと感じていた。対戦する相手の国の選手が明らかに南アフリカに敵意をもっていた。しかし現役時代は何も自分の意見を話すことはなかった。そのデュプレシスはマンデラが釈放されたときのパレードを見に行っている。マンデラの釈放により国が回復の道に行くと願っていたからだ。
    1995年の南アフリカワールドカップの監督にデュプレシスが選ばれたのだ。スプリンブボクスが白人と黒人の軋轢を生めるもにになることを期待されて。
  10. マンデラが釈放され二日後に行われたマンデラの釈放を記念して行われた大集会。サッカーシティスタジアムで今度の2010年のサッカーのワールドカップでも使用される。
  11. マンデラとピナールの面談。ここでマンデラは釈放後1992年の観戦したバルセロナオリンピックの話をしたという。スタジアムの振動を肌で感じ、かつては黒人の敵だった白人の英雄スプリングボクスは敵ではなく仲間と考える時が来ていると感じたのだという。
  12. .映画の中で、二つの国歌のうち黒人側の国歌「ンコシ・シケレリ」をピナールが歌詞のコピーを配り選手に歌わせようとするシーンがあった。選手は拒否していたが原作の描写とはまったく違う。まず映画ではピナールが発案者のように描かれているが実際はかつて何かおかしいと思いながら、何も言い出せなかった監督のデュプレシスのアイデアだった。コーサ語のこの国歌。選手の中でコーサ語がわかるは身長2メートルのマーク・アンドルーズ。かつてコーサ族の住む田舎で育ったため話せるのだという。ほかヘニールルーもいくらか理解できたという。他の24人はちんぷんかんぷん。デュプレシスは友達の女性が大学でコーサ語を学んでいたことを思い出し彼女に発音の先生に宿泊先に来てもらった。皆熱心に新しい国歌を覚えようとしたという。コブス・ヴィース、バリー。スヴァルト、ハネス・ストレイダムはこと熱心だったという。
    イギリス系のジェイムズ・スモールも感動した。彼はイギリス系でオランダ系白人社会の中で差別されてきた。ピナールも学生時代イギリス系の学校で試合に負けなかったことを誇りとしていた。スモールはオランダ系にいつも差別されてきた。普段はよっぱらって喧嘩ばかりする問題児も、感情を高ぶらせて「僕には差別される側のこともわかるのです」と話している。
  13. 映画で唯一の黒人選手として登場しているチェスターウィリアムス。映画のラグビーシーンの監修も行っている。しかかれは黒人ではあるが、ほかの差別されていた南アフリカの黒人とは身分も違う。アパルトヘイト時代には白人、カラード、インド人、黒人と人口登録法で分類されていた。ウィリアムスはカラードに分類されアパルトヘイト時代には南アフリカ国防軍に所属、軍曹だった。その当時政治には関心がなかったという。当時の差別されていた黒人とのつながりは、肌の色だけだった。コーサ語も話せない。
    ただ映画にあったように、政府がウィリアムスを利用したのは事実で、街中にウィリアムスの写真がチームの宣伝として使われた。内気のウィリアムスは苦笑していたという。
  14. 映画でスプリングボクスの選手が練習しているところにマンデラがヘリコプターで飛来する。監督のデュプレシスには知らされていたのでスーツを着て待っていたという。映画でもマンデラはチームキャップをもらっていたが、あげたのはヘニールルー。ルルーは政治に関心がないほうだったが、黒人のための国歌も覚えることが国民の義務と感じていた。またワールドカップの宿泊のためホテルに入ったときに黒人従業員が凄い喜んでいるのを見て“黒人が喜んで歓迎してくれている。何か恩返しをしなくてはいけない”と感じていたという。
    ヘリコプターで練習場を後にするマンデラに選手は子供のようにずっと手を振って見送っていたという。
  15. マンデラ大統領が入れられていたロベン島の刑務所。選手が訪問するがデュプレシス監督のアイデア。当時はまだ刑務所として新しく入る囚人はいなかったが昔から入っていた囚人はまだ収監されていた。映画の独房は実際にマンデラが入っていた独房だそう。映画ではピナールだけが独房に入っていたが実際は選手全員が交代交代で中に入っている。その後選手達は映画同様、マンデラが石割をしている中庭に出た。映画では誰もいなかったが、実際には収監されている囚人たちが待っていて、とても嬉しい表情で選手を見ていたという。ピナールは
    「あんなところに閉じ込められているのにチームを誇りに思っているのがはっきり伝わってきた。いまのスプリングボクスは国民全体の代表なんだとみなの気持ちを伝えた。そしたら歌を歌ってくれてジェイムズ・スモールは隅のほうで涙を流していた。」と話している。スモールはもともと喧嘩にあけくれた生活だったので自分ももし間違ったらこのような道をたどっていたかもしれないと感じたのではとピナール。そしてそのピナールも若いことはラグビーが遊びで、その辺で喧嘩するのが生活のメインだった時代があった。
    そのスモールは
    「囚人たちは歌を聞かせてくれただけでなく凄い声援を送ってくれた。あそこで自分は新しい南アフリカの一員だった強く意識したんだけどそれだけじゃない。スプリングボクスとしての責任感もあのとき芽生えた。あそこで拍手を聞きながらマンデラの独房のことを考えて。27年間も刑務所に入れられたのにマンデラは愛と友情を抱えて外に出てきた。いろいろな思いが一気に押し寄せてこらきれずに泣いたんです」と話している。
  16. 映画で描かれていた黒人の警備と白人の警備の溝が埋められていく様子。二つの人種が遊びでラグビーをしているシーン。黒人警備の、ムーンサミーは開幕戦を振り返り
    「試合終了のホイッスルがなると同僚の白人は大騒ぎ。僕たちはそれを見て笑っていた。スプリングボクスは依然彼らのチームで僕たちのものではなかった」と話している。しかし2試合目に勝つと少し様子が変わってくる。白人の同僚がその話ばかりなので試合について聞いてみたところ一気に距離が縮まったという。警備たちは2週間に一度訓練を行うそうだがその訓練の後、映画のように簡単なラグビーの手ほどきを白人がしてくれだんだん黒人警備がラグビーを覚えて言ったという。

  17. ムーンサミーにとって自分がスプリングボクスのファンになるという確実な出来事が起きる。それは300人もの子供たちがスプリングボクスの選手に指導を受ける様子をテレビのニュースで見たときだという。
    映画でも描かれていたシーンだ。ただ映画と実際は少し違かった模様。
    デュプレシス監督が先頭にたち子供たちを15ほどのグループにわけた。映画の一番人気は黒人チェスターウィリアムスだったが実際にはマーク・アンドルーズ。黒人たちのコーサ語が話せたから。さらに続きがあって、その夜、地元の黒人による試合があったのでデュプレシスは選手を何人かつれて見に行った。そこで一番人気は暴れん坊のイギリス系白人ジェイムズ・スモール。1時間半もの間延々とサインをしていたという。写真がムーンサミーを演じたPatrick Mofokeng。




  18. フランス戦では映画でも大雨が降っていた。実は雨で試合中止となるとこれまでの成績でフランスの決勝進出、南アフリカの敗退ということになっていた。軍のヘリコプターも上空から風圧で水を飛ばす。黒人女性の大活躍もあった。モップとバケツを手に必死に水を拭き取った。
  19. 映画ではあまり描かれなかったフランスの幻のトライ。ゴールラインを超えたと思ったが審判はトライを認めなかった。フランス代表のアブドラティ・ベナッジは自分がトライを決めたと信じている。のちにベナッジはデュプレシスに
    「あなたのチームに負けてぼくたちは散々泣きましたよ。でも次の週末に決勝戦を見に行って僕はもう一度泣きました。グランドにいることはそれほど重要ではなかった。目の前でおきていたのは試合の勝ち負けよりずっと意味のあることでした」と話したという。
  20. 映画の中では決勝戦、マンデラ大統領はピナールのジャージを着て登場。あれは黒人警備のトップ、ムーンサミーのアイデア。オールブラックスをどうやって止めるか話していたらそのような話になったという。マンデラはそのアイデアに即時に賛成。秘書にフットボール連盟会長に連絡させピナールのジャージの用意を求めた。前にルルーにもらったキャップは家に置いてきてしまったので別のキャップも用意してもらった。
  21. 映画では突然の飛来だったボーイング。何週間も前から準備されていた。パイロットはローリーケイ。南アフリカ生まれながら飛行機に乗りたかったケイはイギリス空軍に入る。南アフリカの政治に反対してイギリスに渡ったのではなく簡単に入れたからだという。実はケイはマンデラが大統領になる前、刑務所から釈放後すぐに会っている。南アフリカ航空を利用してマンデラがリオデジャネイロからケープタウンに向かう飛行機のパイロットがケイさん。マンデラが機長に挨拶したいというので会ったのだという。マンデラはここでも外交手腕を発揮。機長が立たなくても良いですというのに立って挨拶。ケイ機長はマンデラのオーラに圧倒されたという。そしてマンデラは機長を手玉にとると、エコノミーに座っていたスタッフにもファーストクラスに座らせて欲しいとリクエスト。ケイ機長はマンデラのオーラを感じていた。
    そしてワールドカップ。再び二人が交差する。地上と空中で。もともとスタジアムに南アフリカ航空の飛行機に似せたラジコンを飛ばすというアイデアからはじまった。しかしラグビー主催者側と航空会社の協議が進むにつれ話が大きくなり、とうとう南アフリカ航空の重役がケイさんに電話。曲乗り飛行は30年のキャリア、ジャッキーチェンの映画でも宙返りを見せた元軍人が断るわけもない。決勝当日スタジアム上空は軍の管制下におかれ周囲五マイルは飛行禁止となった。2時32分45秒ちょうどにスタジアム上空を通過。さらに90秒以内にもう一度旋回してきてスタジアム上空を通過するというとんでもない要請。民間航空局の規則で人口の密集する地域では高度600m以上で飛ばなくてはいけないルールが、ある一定の期間適用されていない時だった。どれだけスタジアムに近く、低空で飛ぶかはケイさん次第となっていた。
    「もうすぐスタジアムというところで二人(副操縦士、航空機関士)に言いました。“これからはすべて僕の責任だ”と。こういう重要な日に音が聞こえないくらい遠くでは意味がない。飛行機の下に書いてある文字が観客にはっきり見えるよう機首を下げて降下。速度は失速ぎりぎりの140ノット。スタジアムから上昇するときに最大に力をだせるようゆっくり入ったんです。目標地点に達するとエンジンの回転数をあげて音量と推進を最大にしました。出来る限りのエネルギーをスタジアムに向けたかったので」とケイさん。飛行機はスタジアムの最上段の席のわずか60メートル上を通過。そして二度目の通過には80秒しかかからなかった。(しかし実際の決勝戦の映像のJ Sportsの放送では飛行機は一度の通過しか映っていなかった。またジャンボ機が80秒で一度通過したところまでホントウに戻ってこれるのだろうか? )
  22. 新しい国歌ンコシ・シケレリ。一生懸命練習したのに残念ながらキャプテンのピナールは
    「歌いませんでした。歌えなかったんです。口を開いたとたんにばらばらになってその場に崩れ落ちてしまいそうな気がしたんです。声を上げて泣きたいぐらい気持ちが高ぶってしまって。人生の記念すべき瞬間にスタジアム中の声援が聞こえてきていまにも押しつぶされそうでした。婚約者を探して落ち着こうとしたんですがみつかりませんでした。唇をかんだら血が出てしまい喉を通るのがわかりました」とピナールは話している。
  23. 映画では(記憶で間違えていたらすいません)ンコシ・シケレリを選手が歌うのは決勝戦の前。実際には緒戦のオーストラリア戦からずっと歌っている。二つの国歌を歌うことが決められて最初が新国家、続いて旧国家と二つの国歌がつながるようアレンジされておりちゃんとンコシ・シケレリのほうも歌っていた。
  24. ンコシ・シケレリは黒人解放運動の公式賛歌だつた。ンコシ・シケレリは神の祝福をという意味。歌詞の前半がコーサ語とズールー語。後半はソト語。意味は
    ”神よアフリカを祝福しまえ その栄光を高くかかげ われらの祈りを聞きたまえ 
    神よ祝福したまえ あたなの民であるわれわれを 来たれ 聖霊よ 来たれ 神よわれらの国を守りたまえ
    すべての争いを終わらせたまえ われらとわれらの国を守りたまえ いついつまでも”

映画より本のほうが面白いです。 本ではたくさんの人が出てきます。白人黒人、マンデラの白人との共存に反対している黒人。登場人物すべてが最後のワールドカップ決勝へ、それぞれの思いをもって臨みます。中には負けてしまえと思いながらその日を迎えた者も。しかし、最後には全ての登場人物が一つになった南アフリカに涙をしていたのです。映画は彼らを描くほど時間がないので、本ほど一つに心がまとまる素晴らしさが感じられませんでした。もちろん本ほど、なので映画を見たときは感じたと思ったのですが。しかし本をよんだらもっと感じました。

 

もう一つのマンデラ映画「マンデラの名もなき看守」 真実の物語ではない?
yahoo映画では
「南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラの“囚われの27年間”にスポットを当てた感動作。政治活動家として刑務所生活を強いられたマンデラと、彼と の出会いによって社会を見つめ直す白人看守グレゴリーの交流が描かれる。監督は『ペレ』のビレ・アウグスト。マンデラを人気ドラマ「24」のデニス・ヘイ スバートが、グレゴリーをジョセフ・ファインズが演じる。存命中の人物を魂を込めて演じたデニスの熱演と、知られざる感動秘話が堪能できる。」と紹介されている。
この映画の原作はその白人看守であったジェームズグレゴリーが書いた本。なんと感動の物語の主人公を書いたのはその主人公本人なのである。
マンデラと長年の友達でありマンデラの公式の伝記であるMandela: the Authorised Biographyの著者アンソニーサンプソンはグレゴリーをあざ笑っている。グレゴリーを嘘つきでありマンデラのプライバシーをこの映画の原作本の描写で犯していると批判している。サンプソンはグレゴリーがコーサ語を話せるためマンデラの担当になったとなっているが、ほとんど話をかわさず、また、マンデラへの手紙を開封して中味を読みその内容をマンデラとの関係が良くなるように利用したと話している(ただし囚人の手紙が開封され検閲されることはどこにでもある話し。グレゴリーは検閲をする職務があった)。またサンプソンは、他の看守はグレゴリーが政府のスパイであったと疑っていたとし、しマンデラは彼を告訴しようと考えたことがあったと話している。
2007年のGuardian.co.ukの中の記事では
”マンデラ自身も含め、グレゴリーとの友情の描写は誇張であり、またいくつかの出来事も真実ではない。”と書かれている。マンデラの伝記では看守の友人として描写されているのはクリスト・ブラントという看守である。ブラントはマンデラの名もなき看守の原作本に関して
「本は真実でないことが多く書かれている。理由は僕は刑務所にいたから知っている。ジェームズグレゴリーはマンデラとは直接話をしていなかったからね。僕はグレゴリーが死ぬ前に(すでのガンで死去)話をしたことがあるんだけど、彼はいくつか間違えがあることを認めていたよ。彼は何人かのフランス人からインタビューを受けたそうだ。それが間違えの理由だって話していたよ」と話している。これはゴーストライターがフランス人だったということなのだろうか。
このブラントはインビクタス原作本にも出ている。1985年に生まれたブラントの子供はマンデラの孫のような存在になっていたという。ブラントはマンデラに息子を見せようと生後八ヶ月の子供をこっそり刑務所に連れ込んだという。ブラントの息子を抱くとマンデラは、自分の子供六人を思いおこしたか泣いていたという。ブラントの子供リアーンには誕生日には欠かさず手紙を贈ったという。
またGuardian.co.ukによるとブラントの子供リアーンが大学に進学する年(その頃マンデラはすでに大統領を引退していた)になると、大学の資金を出してあげようとしたが
「大学でエンジニアになるための勉強を考えたが息子はダイバーになる決心をした。僕は息子をマンデラと話をさせるため連れて行った。彼は僕に息子の意思を尊重しなければいけないといったよ」とブラント。
同サイトによると、ブラントは2007年現在、マンデラの独房があった刑務所の島、ロベン島で20人の元囚人たちと刑務所のツアーガイドの仕事をしている。
「僕はまだ島で仕事をしている。昔違う立場でこの島にいた人達とね。でも今は皆が自由だ。皆すべてが平等だ。僕たちのとって今のほうが良くなっているよ」とブラントは話しているという。

 

 

You Tubeにあったインビクタス関連の動画

1995 Rugby World Cup Final Highlights
1995年ワールドカップ決勝の試合のハイライトとポストショー
決勝でキックを決めまくったストランスキーの活躍。試合終了の瞬間
マットデイモンの”6万人の南アフリカンではありません。4300万人の南アフリカンがいるのです。”のりアルバージョンも。


1995 Rugby World Cup Final post game and trophy presentation Part 1
1995 Rugby World Cup Final post game and trophy presentation Part 2
少し音がずれているけど、映画の台詞があるわけでもないのでちゃんと見られる。画像も乱れがち。
Part 1が試合終了直前から 。映画のようみチームが輪になって祈っているシーン。
実況がピナールを絶賛している。トライのない試合は普通面白くないがこの試合は”スリラー”だったと実況は話している。
Part2は映画での出来事の後のフィールドの様子。選手がトロフィーをもって観客の声援にこたえている。ピナールとオールブラックスのロムーの握手のシーン。


Pre and Post Game Scenes - 1995 Rugby World Cup Final - The Real Invictus
実際の1995年ワールドカップ決勝試合前、試合後のセレモニー。
ピナールは本人が話していたとおり南アフリカのコーサ語の国歌のシーンは歌っていないどころか硬直している。


Springboks celebrating in the change room after winning the 1995 Rugby World Cup

試合後の南アフリカロッカールームの様子

PJ Powers- World In Union Live 1995 Rugby World Cup Final
ワールドカップ公式テーマソング 1995年のライブ映像 日本では歌詞違いで「ジュピター」
映画では試合後、オーロラビジョンに彼女が映し出されていたが、実際にはオープニングで歌われた。\

Invictus soundtrack - Vitaliy Zavadskyy
劇中曲

Overtone - Colorblind (Invictus OST)
劇中曲

INVICTUS Theme Song: 9000 Days
テーマソング  
リンク先からほかの曲も聴けます

St. Louis Ramblers Rugby - Invictus Premiere
アメリカのセントルイスでの試写会。セントルイスにはアメリカで二番目に長い歴史を持つラグビーチームがあり、試写の前にラグビーのルールを説明している。アメリカでラグビーがまったく浸透していないことがわかる動画。日本もかわらないと思うけど。

Rugby Worldcup Flyover.session
南アフリカ航空のジャンボジェットのフライングオーバー。映画では一度、残っている映像でも一度だが、原作本のとおり二回スタジアムを通過、予算は40000USドルとナレーターは話している。

 

 

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